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昨日午後1時30分から3時まで 太田宿中山道会館で開催された文化講演会に出席しました。 御嵩町生涯学習課文化振興係長の栗谷本真(くりやもとまこと)氏が 「御嵩町の隠れキリシタン遺物」と題して 資料とスライドを使いながら説明されました。 ![]() キリシタン信仰の伝搬と禁教によれば、 1549年フランシスコ・デ・ザビエルが鹿児島へ来航し、 領主津島貴久の布教許可を得てから 織田信長、豊臣秀吉の時代を経て 徳川の時代になった1605年頃 キリシタン信者は全国各地で75万人を超えていたとも言われます。 1612年徳川家康が幕府直轄領で「禁教令」を出し、 以後キリスト教の過酷な弾圧が行われました。 中山道付近にある御嵩町謡坂(うとうさか)で 昭和56年(1981年)に農免道路拡張工事による墓地移転が行われた際、 土中から3点の十字架を彫った石が見つかりました。 その後、同地区や隣接地区でも聖母マリア像など 十数点が発見され、この地で弾圧を恐れ ひそかに信仰を続けた「隠れキリシタンの里」の 存在が明らかになりました。 十字架陰刻碑3点、七御前遺跡、子育て観音3点、 聖母マリア像2点、十字架陽刻碑、 大東場の水神碑、南無阿弥絶仏、 十一面千手観音立像など珍しい遺物を スライド写真で見せてもらいました。 約30名の受講者が熱心に講演を聴き、 最後に数名が質問をして答えていただきました。 とても有意義な楽しい時間が過ごせました。 その後、中山道草鞋の会代表に教えてもらった 「承久の乱・大井戸の渡古戦場」の説明板を 木曽川堤防に出かけて写真を撮ってきました。 ![]() ちょっと小さくて読みにくいかもしれません。 ![]() 承久3年(1221年)6月5日幕府側の軍5万騎が木曽川左岸(可児市)の 大井戸の渡しに布陣、朝廷側わずか2千騎が木曽川右岸(美濃加茂市)に布陣。 幕府側が渡河攻撃を仕掛け、朝廷側を撃破した戦いが、 「大井戸の戦い」で、承久の乱の口火を切った戦いとなりました。 この戦い以後、戦いの舞台は木曽川の下流へと移り、 最終的に幕府軍に京を占領され、幕府軍が勝利し、 後鳥羽上皇は隠岐の島に配流となり、 朝廷が武士に敗北し、武士を中心とする政治、 武家政権が明治維新まで約650年近く続きます。 それを決定づけた画期的な戦いの舞台がここだったのです。 (以上、説明文より抜粋) 歴女も久しぶりに興味津々で受講してきましたし、 その後、木曽川堤防で写真を撮って満足して帰りました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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おはようございます
おっしゃる通り、有意義な時間を過ごされましたね。 (2023.03.20 06:19:07)
エンスト新さんへ
おはようございます。 はい、歴史に興味がありますので、楽しく講演を聴くことができました。 そして木曽川堤防で承久の乱・大井戸の渡しの戦いがあった所の記念写真を撮ってくることもできました。 (2023.03.20 07:47:33)
承久の乱、難しいところですね〜
後鳥羽上皇さんは、 なんでも出来てしまう天皇さんだったそうで 理想を掲げていたのでしょうね。 いろいろあって政治は武家が行うことになり それがず〜っと続いているわけですね。 今だってやっぱりその筋の方が議員になっていたり していますね。 (2023.03.20 11:23:54)
歴女のchiichanが 有意義で大満足の講演会で勉強されてきたのですね。
隠れキリシタンの壮絶な話をたしかポルトガルで聞いたような・・・ 大変だったのだと思います。 (2023.03.20 11:55:00)
テレビで少し前に隠れキリシタンが、このような場所にもいたということで、一見仏像の裏に刻まれていたものとか、色々解説した番組をみたことがあります。
やはり領主の信仰ということで影響があったようですね。 絶対見てはだめとかいう、先祖からの継承物がキリスト関係のものだったとか。 まだまだ知られていない歴史の真実というのは多いのでしょうね。 魅力的な講演ですね。 (2023.03.20 12:57:05)
R.咲くや姫さんへ
難しい事は解りませんが、とにかく後鳥羽上皇で天皇様が政治を治めることが最後になりましたね。 以後武家の世の中になりますものね。 今でも昔の家柄の名残は続いていますね。 (2023.03.20 13:54:10)
CHELLES2009さんへ
こんにちは。 いえいえ、とんでもありません。 ただ単に歴史が好きなだけです。 戦乱の世がずーっと続いたので、民は何かにすがりたかったんでしょうね。 徳川の世になるまでに75万人のキリシタンがいたそうです。 ありがとうございます。 (2023.03.20 13:56:50)
きらら ♪さんへ
歴女というほどでもありませんが、歴史は好きです。 知らないことを教えてもらえるので講演会が好きなんです。 きらら♪さんはポルトガルでキリシタンの壮絶な話を聞かれましたか。 それまでの戦乱の世に救いのように現れたキリスト教にすがった人たちは大勢いましたが、徳川の時代になって禁教令が出て弾圧が厳しくなったようです。 (2023.03.20 14:00:48)
クレオパトラ22世さんへ
隠れキリシタンの番組をテレビで見られたんですね。 仏像の裏に十字架が彫られたり、仏様のように見えてもよく見ると聖母マリアに抱かれたキリストの絵が彫られていたりとカモフラージュしてあるのもありました。 仏壇の裏に隠してあったとか土に埋めてあったりとやはり弾圧を受けないように工夫されていましたね。 多分これからもまだまだ出てくるんだと思います。 (2023.03.20 14:07:23)
こんにちは(USM)
隠れキリシタンの里って方々にあるのですね。 人が亡くなった後、生命はどこに行くのだろう。 深夜ラジオ便で話題になっていたが難しい課題だ。 妻の場合大腿骨骨折で生命維持装置を付けていた。 厳密に言えば病院側のミスになるが人手不足で片付けられた。 妻が絶命する時には立ち会えなかったので瞬間は分からない。 生命とは魂の事で仏教では体から離脱し宇宙へ溶け込むとある。 ホープの時も抱えていたがキャンと吠え体が硬直していった。 妻もホープも魂は一瞬で居なくなり何処へ行ったのかと思う。 (2023.03.20 15:00:50)
Photo USMさんへ
こんにちは。 隠れキリシタンの里は全国にあったでしょうね。 何しろ戦乱の世で救いを求める75万人の人たちがキリシタンになったと言われてますから、徳川の弾圧を受けて地下に潜ったというか隠れキリシタンになったんでしょうから。 難しい問題ですね。 人間の形は火葬で燃えてなくなっても、また土葬になって土に帰っても、魂がどこかにあるような気がします。 (2023.03.20 16:19:31)
いつもありがとうございます。
興味のある講演会は面白いでしょうね。 濃い時間を過ごされたようで、よかったですね。 月に1回あるのは今後も楽しみですね。 (2023.03.20 20:03:11)
星影の魔術師さんへ
こちらこそいつもありがとうございます。 はい、歴史は興味があるので、講演会が楽しかったです。 近くにこういう隠れキリシタンの里があったとは話では聞いていても実際調査した方に効くと親近感がわいてきました。 来月も楽しみです。 (2023.03.20 20:24:18)
こんばんわ
鎌倉殿の13人を見ていたので、私も承久の乱に関連する史跡巡りをしてみたいなと思いますね。 (2023.03.20 21:57:33)
キイロマン☆彡さんへ
おはようございます。 どうでしょうね。こればかりはわかりませんが、あまりにも戦国の世が長く続いたので、あの時代の人たちがどこかに救いを求めたんでしょうね。 (2023.03.21 06:43:33)
masatosdjさんへ
おはようございます。 そうですね。この辺りは歴史的に色々とあった所ですから昔のことを勉強するのが面白いですね。 特に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が誕生した土地ですからね。 (2023.03.21 06:45:41) |