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2020年08月14日
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テーマ:ニュース(99709)
カテゴリ:ニュース
イギリス労働者の待遇改善の闘いと人気スポーツ「サッカー」の歴史的関係について、「しんぶん赤旗」の勝又秀人記者は、7月22日の同紙に次のように書いている;


 新型コロナウイルスの影響を受けた欧州スポーツ界で「世界最古のサッカー大会」とよばれるイングランド協会(FA)杯が再開し、8月1日に決勝戦を迎えます。150年近い歴史があるプロ・アマ混合の大会です。英国でサッカーは労働者のスポーツとして親しまれ、定着しています。

◆土曜日の午後に余暇をもたらす

 137年前。そのFA杯決勝で、サッカーにおける歴史的な転換点が訪れました。フランスの歴史家アルフレッド・ヴァール著『サッカーの歴史』は「サッカーの歴史における『エリート支配』は、1883年に象徴的な形で終わりを告げることになる。労働者のクラブであるブラックバーンが、名門パブリックスクールのイートン校(のOBチーム)を打ち破ったのである」と記しています。

 1883年3月31日、約8000人が詰めかけた口ンドンのクリケット会場。1―1で迎えた延長戦で、ブラックバーンのジェームズ・コステリー選手がヘディングシュートで決勝点をたたき込んだのです。

 世界のサッカーに詳しい95歳の古参サッカージャーナリスト、賀川浩さんは解説します。

 「ブラックバーンは織物工、紡績工など、北部ランカシャー地域の綿織物の町からやってきた労働者階級のクラブ。イートン校OBチームはお金と時間のあるブルジョア階級のクラブ。ブラックバーンの優勝は、働きながらサッカーに親しむ人が増えて競い合った成果といえる」

 画期的な出来事の背景に、労働時間短縮を法的に規制する「イギリスエ場法」による労働者の生活の変化がありました。

 先の『サッカーの歴史』は、イングランドで階層を超えてサッカーが急速に広まった要因として、1860年以降、労働者や中流階級が「土曜日の午後に余暇の時間をもてるようになった」と記述しています。

 浜林正夫著『イギリス労働運動史』によれば、1859年に女性や未成年者など一部の労働者の就業時間が、土曜は午後2時までと定められました。これが「半ドン(半休)」を社会全体に広げる契機になりました。明るい時間帯に仕事から解放された労働者たちが、ボールを無心に追いかけた光景が想像できます。

 この時代、1日15時間や12時間労働がまかり通っていた同国で、力ール・マルクス(1818~1883年)は工場法に労働者の健康と生活改善の活路を見いだしました。

◆『資本論』でのマルクスの告発

 『資本論』の「第8章労働日」で、労働者を少しでも長く、過酷な条件で働かせようとする資本家の攻撃に、「労働者たちは結集し、階級として一つの国法を・・・社会的バリケードを、奪取しなければならない」(新版『資本論』2)と書きました。

 1850年の工場法によって世界で初めて10時間労働制が勝ち取られました。マルクスは労働者による”半世紀にわたる大闘争”の成果だと評価し、工場法をめぐる労働者のたたかいが「新しい社会の形成要素と古い社会の変革契機とを成熟させる」(新版3)と特徴づけました。工場法はサッカーにおいても大衆化への飛躍という新たな「形成要素」となったのです。

 世界最高峰といわれるイングランド・プレミアリーグのクラブ史をたどると、源流は19世紀後半につくられた労働者のクラブでした。元日本代表の香川真司選手が所属したマンチェスター・ユナイテッドは、同地の鉄道労働者が創設。元代表の岡崎慎司選手が所属したレスターは靴工労働者らが立ち上げました。

 1849年から晩年まで英国で暮らしたマルクスの目に、サッカーに興じる労働者たちの姿はどのように映っていたでしょうか。

 『資本論』ではブラックバーンの労働者の実態と、英国の鉄道労働者、レスターの製靴業労働者の苦境ぶりやたたかいを「労働日」や「第13章機械と大工業」などで見ることができます。貫かれているのは、労働者を命の危険や不健康な状態に追い込む残酷な働かせ方の告発でした。その労作が、今日のサッカーの隆盛をもたらすアシストになったに違いありません。

 労働者のクラブが初の栄冠を勝ち取った1883年のFA杯決勝戦は、マルクスが生涯を閉じた日から18日後のことでした。
(かつまた・しゅうと スポーツ部記者)


2020年7月22日 「しんぶん赤旗」 9ページ 「学問文化-イギリスエ場法とサッカー普及」から引用

 私が就職した1970年代は土曜日は半日出勤という時代でしたが、あのような働き方は1880年のイギリスから始まったとは、なかなか感慨深いものがあります。その後、日本では隔週で土日が休みになり間もなく完全週休二日制になりましたが、それと引き替えるように、それまでは「労働者を解雇する」などということはよほどの不祥事でもないかぎり許されるものではないという認識が一般的であったものが、「経営が行き詰まったら人件費を節約するために労働者を解雇する」ことを「リストラ」と称して、「それは、やってもいいことなのだ」という経営論(?)が流行して、善良そうな町工場の経営者が「驚いた世の中になったものだ」と、違和感を隠しきれないという風情でしみじみ話していたものでした。しかし、労働者不利の情勢は、それに留まらず、その後は「多様な働き方」などという美辞麗句に騙されて、正規雇用の門戸を狭くして非正規雇用を増やすという事態に立ち至っています。これからの若い人たちには、憲法と労働三法に規定された「労働者の権利」をよく学習して、正当な権利を主張していってほしいと思います。





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最終更新日  2020年08月14日 01時00分05秒


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