8年ぶりに発足した新しい内閣のために与党である自民党が作成したポスターについて、フリーライターの武田砂鉄氏が20日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている;
菅義偉内閣が発足し、自民党が新たにポスターを作成、菅首相の写真の横に「国民のために働く内閣」というスローガンが力強く掲げられている。「文字が印刷されている新聞」「麺とスープが入っているラーメン」「全ての駅に停車する各駅停車」のような感じで、当たり前のことをわざわざスローガンにしている。
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たとえば、改装オープンしたラーメン店に「リニューアル! 麺とスープが入つているラーメン!」というキャッチコピーが貼り出されていたら、この店は、一体これまでどんなラーメンを出していたのだろうと心配になる。「国民のために働く内閣」と打ち出した、その一つ前の内閣って一体どういう内閣だったのだろうか。まさか、国民のために働かない内閣だったのか。
前内閣の中心人物だった人が「継承する」と言いながら始動した新しい内閣だが、前の内閣が抱えていた問題を新たに検証することはなく、「継承する」にかぶせるように「前例打破」を連呼している。長期政権の安定感を頂戴しつつ、中身については検証しないという、ずる賢い判断を強引に推し進めようとしている。
「国民のために働く内閣」を標榜(ひょうぼう)するならば、利権ファーストと化している東京五輪の見直しくらい打ち出してほしいものだが、そういう判断は一切見当たらない。それこそ、日本学術会議の任命拒否問題が顕著。拒否をした理由さえも明かさない様子からは、国民のために働くつもりはないことが明らかである。
なぜ6名を任命しなかったのか。これを繰り返し問わなければならないのに(これだけを問えばいい)、そもそも学術会議ってどうなの、問題があるんじゃないの、という議論に移行させたがる。マンションへの入居を拒否された理由を問うているのに、そもそもこの家賃は適正だろうか、みたいな話になっている。話が違う。別の要素を持ち込み、そっちの要素にズラしていく技はまさしく前政権からの「継承」である。
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菅首相は、学術会議側が提出した105人の推薦リストを「見ていない」と発言したが、後日、加藤勝信官房長官がその発言について、「詳しくは見ていなかったことを指している」とした。いつもにも増して強引な言い訳である。
言い訳の限界を何度も超えてくるのが前政権だったが、新しい政権もなかなか強烈だ。私が「あの映画、見ていないんだよね」と言つたことに対して、誰かが「武田が『見ていない』って言ってたのは、詳しくは見ていないってことで、一応、見てはいるらしいよ」とフォローしてくれたとする。意味不明だ。でも、そうやって意味不明のことを、あたかも正しいアプローチのように見せてくる。
日本学術会議法には「推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する」とある。誰かが6名を削除したのならば、総理大臣の任命権や学術会議の選考権の侵害をしていることになる。
詰んでいる。詰んでいるのに逃げるのは、「国民のために働く内閣」ではない。
(たけだ・さてつ ライター)(毎月―回掲載)
※引用者注 ここに貼り付けた写真は引用した記事に付属したものではなく、引用者がツイッターの画面でコピーしたものです。
2020年10月20日 「しんぶん赤旗」 10ページ 「武田砂鉄のいかがなものか!?-詰んでいるのに逃げる内閣」から引用
「詰んでいる」という言葉は森友学園問題でも、加計学園問題でも「桜を見る会」問題でも度々言われた言葉であったが、将棋のような確固とした誤魔化しようのないルールがあれば自他共に「これは詰んだ」という認識を共有できる。しかし、わが国の政治の場合は、証拠となる公文書は改ざんし放題、都合の悪い文書は廃棄する、都合の悪い質問には故意に的を外した答弁で逃げるなどということがまかり通る状態であるため、国民が「詰んだ」と思っても総理大臣は「いやいや、逃げ道はいくらでもある」と言える状態になっており、わが国の民主主義のレベルがはっきりと反映されている。日本学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が会員を任命する場合も、国会の推薦に基づいて天皇が総理大臣を任命する場合も、任命する者は自分の判断を差し挟んではならないことを前提にした条文であることは、中曽根康弘氏が総理大臣だった当時に証言したとおりであり、この問題をこのままうやむやにしてはならないと思います。