カテゴリ:【如水・壺公慷慨】
★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★ ☆ スイーツの日。この日の存在自体がスイーツ (笑)だと思う。 冗談は置くとして、死刑が戦後憲法の下でもO.K.というお墨付きが最高裁判所で下る(1948年)。 ☆ 「モスバーガーがいいね」と君が言ったから3月12日はモスの日(1972年)。 &so、 「三蔵法師が妖怪に食べられる」ドラえもん映画が封切り(1988年)。 ☆ バーミヤーン巨大石仏の破壊(2001年)でターリバーンの悪名は世界にとどろき、へきへきしたヤンキーたちが故郷に帰る道を探り始めた。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年03月12日 】 「ブチャはフェイクだ」陰謀論に染まったロシア人の30年来の友人、彼とともに現れた〝特務機関員〟らしき男……ロシア社会が「ウクライナ=ナチス」論を受容する背景とは / 【連載第4回】 『空爆と制裁 元モスクワ特派員が見た戦時下のキーウとモスクワ』=後節= =Wedge_Report 【プーチンのロシア】 2024年03月04日 / 黒川信雄( 産経新聞社 元モスクワ特派員) ステパン・バンデラ(1909~59年)とは、第二次世界大戦期間中から1950年代まで、対ソ連のパルチザン闘争を行った「ウクライナ蜂起軍」の指導者のことだ。バンデラは一時期、ナチス・ドイツと協力関係にあったとされる一方、現在のウクライナではウクライナの独立を目指した人物として再評価を受けている。ロシア政府は、このバンデラを引き合いに、「ウクライナの現政権はナチズム」との主張を繰り返している。 友人はここで、私にスマートフォンの動画を見せた。ウクライナ人の子供たちが、バンデラを賛美する歌を歌っている内容だと説明を受けた。ただ彼の説明は、どうしても結論ありきの、極端な内容だと感じられてならなかった。 時間は瞬く間に過ぎた。用意された食事にも、ほとんど手を付けられなかった。私は別れ際に「ふたりはどこで知り合ったんだい」と聞くと、「いつも行っている、ロシア正教の教会で出会ったんだよ」と友人は答えた。 友人が、熱心なロシア正教の信者であることは知っていたが、ふたりの関係は、どこかいびつに感じられてならなかった。率直に言って友人は、この男性に洗脳されているようにすら感じられた。 ロシアの教会は、特務機関員の活動拠点として利用されていると、専門家から言われたことがある。男性はやはり、特務機関員だったのではないか。そのような疑問が拭えなかった。 ただいずれにせよ、ロシアのウクライナ侵攻は、私と30年来の友人との間に、埋め難い溝を生みだしたことは間違いなかった。 「ウクライナはナチス」と信じる背景は? 政権が活用する独ソ戦の記憶 ウクライナを率いるゼレンスキー大統領は、ユダヤ系である。ナチス・ドイツのホロコーストに最も苦しめられたユダヤ系をリーダーとする国とその国民を〝ナチス〟と呼び、さらに全面侵攻を仕掛けるプーチン大統領らロシア指導部の言動は、国際社会ではとても受け入れられるものではない。 ウクライナのNGO「ディテクター・メディア」のクセーニア・イリュークによれば、ウクライナを「ナチス」と批判するロシア国内向けの論理は国際社会には十分には受け入れられなかったため、ロシア政府はその後、ウクライナを「ナチス」よりも、「テロリスト」と非難する戦術に切り替えているという。論拠として薄弱であることを、ロシア当局が暗に認めている格好だ。 ただ、それでもこの主張が一定程度、ロシア国内、またウクライナ東部で機能していた事実を見逃すことはできない。 ウクライナ人がナチス──という論法をロシアが展開した背景には、何があるのか。 それは、前述したバンデラのような人物がウクライナ西部を中心に高く評価されている点や、そのような現実がウクライナ東西の対立を引き起こしている実態がある、といったウクライナ国内の事情だけではない。ロシア国内では、第二次世界大戦でのナチス・ドイツとの戦いの悲惨な記憶が繰り返し強調され、〝ナチス〟という言葉に国民の多くが敏感に反応するほど意識が掻き立てられている。その心理を、ロシア当局は巧みに突いている。 第二次世界大戦でナチス・ドイツと戦った旧ソ連は軍人、民間人を合わせて約2600万人もの死者を出したとされる。ロシアのあらゆる家庭において、第二次世界大戦により自分の祖先やその周辺で家族や友人を失っている。一方でロシア政府は、そのナチスと悲惨な戦争を行い、かつ勝利したという記憶を、国威発揚の手段として最大限に利用し続けている。 その最たるものが5月9日の「戦勝記念日」だ。ソ連がナチス・ドイツに勝利したことを祝う日で、ロシアで最も重要な祝日として位置付けられる。5月9日には、恒例の大規模軍事パレードがモスクワ市内で行われ、赤の広場ではプーチン大統領ら政権幹部らが一堂に出席して記念式典が行われる。2005年の戦勝60周年では、アメリカや日本、ヨーロッパ各国の首脳が一堂に集まるなど、国際的な行事としても認知されていた。 5月9日にはさらに、独ソ戦で犠牲になった家族や親類の写真を掲げて住民が行進する「不滅の連隊」と呼ばれる行事も実施される。この行事には、近年はプーチン大統領も一般市民とともに参加するようになっており、政権がいかに重要な行事ととらえていたかがわかる。学校などでも、このナチス・ドイツに対する戦勝の記憶は繰り返し教えられている。 そのようなロシア人にとり、〝ナチス〟という言葉がウクライナを否定的にとらえる上でいかに重要な役割を担うかは想像に難くない。ナチスという言葉を全面に出すロシアの戦略は、開戦当初は特に、多くのロシア国民を反ウクライナに仕向けるのに十分な役割を果たした。 【プーチン登場前夜】氷点下20度の中で食べ物や家財道具を売って糊口をしのぐ老人たち 道端には息絶えた人々も ソ連崩壊後のロシアを襲った地獄の90年代 / 【連載第5回】 『空爆と制裁 元モスクワ特派員が見た戦時下のキーウとモスクワ』=前節= =Wedge_Report 【プーチンのロシア】 2024年03月05日 / 黒川信雄( 産経新聞社 元モスクワ特派員) ウクライナ人を「彼らはずっと、ナチズムだった」とロシアの小学校教員が真顔で語ったように、多くのロシア人との会話の中で感じたのは、ウクライナ人に対する差別意識ともいえるゆがんだ認識だった。 そのような認識は、時に荒唐無稽としか言いようがないデマをロシア人に信じ込ませていた。 「ウクライナでは〝死んだロシア人の子供の肉〟っていう料理が、レストランで出されていたんだよ。テレビで見たから間違いない。本当に恐ろしい話だ……」 モスクワの日本企業で社用車を運転しているという70代のロシア人男性は、私が「ウクライナとの戦争について調べている」と説明すると、神妙な表情で語ってきた。 彼は本当に、その話を疑問にも思っていない様子だった。 彼の発言に根拠があるかを知人のロシア人の手も借りて入念に調べたが、何も見つからなかった。仮に男性が本当にテレビで見たのだとしても、その後インターネットのニュースにすらならない根拠のない情報だったということだ。そのような料理がまともに提供されるはずもなければ、一般の人々が受け入れる理由もない。 ・・・・・・・・明日に続く・・・・・ 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ・・・・・・・・・・ ---------【 前節 並びに 後節 】への閲覧は下記のURL -------------- ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024/03/12 05:10:06 AM
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