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2024/03/14
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂
☆ バレンタインに続き、女子同士で「バレンタインでもらったから~」なんて言ってお互いチョコレートを交換するホワイトデー。かくして、この日は全国の男子校が白けたりする。 ☆ カール・マルクスが逝った日(1883年)。後には家族と『資本論』の読み取ることが難し過ぎるくらい下手っぴな文字で書かれた草稿が遺され、さすがの同志フリードリヒ・エンゲルスも草稿の解読には苦労したとかしないとか・・・・・ ☆ 川口市のアパートで熟睡していたブクロ派のトップが、早稲田界隈からやって来た連中に過激な方法で叩き起こされた挙句に永遠に就寝させられる(1975年)。
【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和5年03月14日 

【プーチン登場前夜】氷点下20度の中で食べ物や家財道具を売って糊口をしのぐ老人たち 道端には息絶えた人々も ソ連崩壊後のロシアを襲った地獄の90年代 / 【連載第5回】
​       『空爆と制裁 元モスクワ特派員が見た戦時下のキーウとモスクワ』=後節=​
=Wedge_Report 【プーチンのロシア】 2024年03月05日 / 黒川信雄( 産経新聞社 元モスクワ特派員)


 正確性を欠いた判断と行動は、ちょっとした親切心から出たものであっても、当時のロシアの市民には何の助けにもならないほど、彼らの生活を取り巻く状況は悪化していた。
 道路で、うつぶせで突っ伏している老人の姿も何度か見た。何が理由かは知らないが、おそらく息絶えていたのだろう。ただ、誰かが助けるわけでもなく、社会が殺伐としている状況だけは見て取れた。

 目立つ服装で街中を歩くことも厳禁で、外貨を持っている外国人の学生であればなおさらだった。親が大手商社に勤めていた日本人学生が、現地でできた友人の家を訪問すると、相手の親に「今すぐ、父親に連絡をして私の会社と契約させろ!」と言って友人宅で監禁されたなどというエピソードも耳にした。曲がりなりにも社会の統制がきいていたソ連時代には、考えられない出来事だったに違いない。

 警察官などによる賄賂の要求も深刻だった。彼らも公務員であり、給料だけでは生活が成り立たない状況だった。

 1996年2月、シベリアのイルクーツクに日本人の友人らと思い切って旅行した。凍り付いた、世界最深のバイカル湖を見たかったからだ。
 その夢はかなったが、帰りのシベリア鉄道に乗る直前、若い警官に「あなたは、国内を旅行する正式なビザを持っていない」と突然問いただされ、鉄道が出発する直前の夜中に、貨物列車の裏に連れていかれ、賄賂を要求された。

 真冬の、しかも夜である。鉄道が出発する直前に、シベリアで放置されるわけにはいかなかった。「正式なビザ」というのも、そのようなものは必要ではなく、当然言いがかりだった。しかし、命があっただけでも良かったというのが、率直な思いだった。

​【プーチンが支持される理由】「エリツィンは欧米の手先」GDPマイナス14.5%の経済崩壊でロシア人が抱いた民主主義への失望 そして「独裁=安定」のプーチン登場へ 【連載第6回】
     『空爆と制裁 元モスクワ特派員が見た戦時下のキーウとモスクワ』 =前節=​

 私がモスクワに滞在していた1995年、大統領の座についていたのはボリス・エリツィン氏だった。

 ソ連共産党書記長だったミハイル・ゴルバチョフ氏を追いやり、ロシア共和国のトップとして、ウクライナ、ベラルーシとともに「独立国家共同体」を創設してソ連邦を崩壊に追い込んだエリツィン氏。改革派の旗手と目され、国民の絶大な支持を集めてロシアの初代大統領となったが、その成果は惨憺たるものだった。

 多くの国民は、ヨーロッパのような豊かな暮らしが間もなく実現すると信じて疑わなかったが、エリツィン大統領らが1992年1月に導入した、「ショック療法」と呼ばれる急激な市場経済化は、ロシアの人々の暮らしを大混乱に陥れた。

 商品価格を一気に自由化したため、ロシアの消費者物価は1992年だけで2600%も上昇するという「ハイパーインフレ」が発生。実質国内総生産(GDP)は14・5%もの下落を記録した。ロシアの通貨ルーブルは紙くずとなり、外資系企業や、エネルギー資源などの貿易に携わることができたごく一部の国民を除けば、先に指摘した年金生活者や公務員などを中心に、その生活は崩壊した。



 エリツィン大統領はさらに、エネルギー関係を中心とした国有企業の資産の民営化に手を付けた。「バウチャー」と呼ばれる、実質的にそれらの企業の株式である〝小切手〟が国民に配られた。ウクライナに侵攻をしかけるロシア経済が現在も維持されているのは、ロシアが保有する莫大な資源と、その資源を海外に売る巨大企業があるからだ。しかし、多くの国民は、その意義を理解しなかった。

 バウチャーを手にした国民は、その重要性がわからず、次第に道端に現れるようになった「バウチャー買います」との看板をぶら下げた人々に、数千ルーブルのはした金で自分が保有するバウチャーを売り払った。こうして、破格の値段で有望な国営企業の株式を買い占めた層が、のちにロシア経済を牛耳ることになる。国民はまたしても、だまされたのだ。

 当時の私の周りにいたロシアの学生らは、いわばその〝上層〟に住む人々の子弟だった。中には、西側から輸入されたばかりであろうスウェーデン製のボルボの中古車を乗り回す知人もいた。寮は2人部屋だったが、最初に相部屋になった青年は、大学に通いながらアメリカの重工業メーカーのモスクワ支店で働いていた。彼らは間違いなく、特権階級だった。そのような知人らの大半は今、ロシアを去っている。

 日本や西側で報道されていた、ソ連崩壊後の壮大な民主化のうねりに感銘を受けてロシアに来た私のような学生は、その改革をリードしていたはずのエリツィン大統領の人気が凋落し、さらに目前(1996年)に迫った大統領選を前に、ロシア共産党を率いるゲンナジー・ジュガーノフ氏に大統領選で敗れる可能性が実際に浮上していた事実を、信じられない思いで見ていた。

 ただ、それは多くのロシア人にとって、当然の結果だった。大統領選では最終的に、新興財閥の助けを得て、アメリカ流の選挙戦略を導入した結果、かろうじてエリツィン大統領は勝利したが、それでも多くの人々の目には、エリツィン大統領は欧米の手先と映り、彼が推し進めた「民主化」に失望した。

 ウクライナの国際政治学者、グレンコ・アンドリー氏はエリツィン大統領の手法をめぐり「ロシアの民主主義というものは、ソ連末期に当時のゴルバチョフ・ソ連大統領との対立軸を作ろうとしたエリツィン・ロシア共和国大統領が、その理論武装のために掲げ、生まれたに過ぎない」と断じている。

 当時は、多様なテレビ番組や新聞が現れてさまざまな勢力が主張を戦わせていたが、実際にはエリツィン大統領のもとで国家資本を牛耳ったオリガルヒ(新興寡占資本家)が政党やメディアを抱えて勢力を競っていたのが実態で、そのような「民主主義」に人々は失望した。
・・・・・・・・明日に続く・・・・・



古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 
・・・・・・・・・・ 
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Last updated  2024/03/14 05:10:06 AM
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