もう一度、昨日の詩を
落日の光にもゆる
白楊の聳びやぐ並木、
谷隈になにか見る、
風そよぐ梢より。(「白楊」テオドル・オオパネル)
落日に風が流れた。
風が吹き抜ける中に何かを見た。
悟ったというところでしょうか。
私、今月初めに腰痛を起こし立てなくなり今は直ったけど、診察の結果、「骨粗鬆症」
そう、年齢、遺伝子から来るもの、確実に来るもの、来たるべきものに否やはありません。
日頃のりのり、やる気満々、何でも来い。自信過剰気味。
強気で行動していても、あるときフッと萎えるもの。
寂しいんじゃない、悔しいんじゃない、仕方がないんでもない。
悟り。ってなんだろうな。
文学上の、哲学上の、形而学的な考えをひねっているのに。
それほど大げさでなくとも、接しているんだから...。
わかってもよさそうに、現実を見るとね。
年の瀬のメランコリー?
ある詩に惹かれるというのは、その時の自身の状態に因るという法則。
恋愛中なら恋愛の詩。
失恋したなら失恋の詩。
高揚しているなら歓喜の詩。
だから、私はちょいと萎えていた。
しかーし、少しでも状態を良くしよう!と気を取り直す私でもある。
しかり、散歩、体操、薬、栄養、日光浴、エトセトラ。
いやいや、今のうち何でもやれることに着手!と元気を出して日記に書く。おめでたや。
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