テーマ:本のある暮らし(3214)
カテゴリ:本の話題
たぶん私が歳なのに、あらゆるジャンルの本を読みこなす柔軟性があると思ってくださってるだろう。でもそれはこの2年くらいの間のこと。
ちょっと前まではエンタテインメントといえばアガサ・クリスティだった私が、著しくジャンルの横断を始めたのはネットの影響である。 あらあらら、事情はこうなっていたのかという驚き。とともに新鮮でその魅力に捉えられたのは事実。けれど多すぎるわ、エンタメ、ファンタジー、ミステリーの出版物。積読本のたまること! と、話は変わるが、先日やきもの市で買ったお皿の包み紙の新聞を広げていてふと目を留めた。朝日紙聞の2005.1.9付け読書欄だった。 『1970年代には、<純文学>と<エンタテインメント小説>は画然と区別されていた』 との書き出しが飛び込んできた。小林信彦さんの文章である。ご自身の『袋小路の休日』という小説が講談社の文芸文庫にはいるので、朝日紙聞『自作再訪』の一文になったらしい。 『エンタテインメントと称する小説がいかにむずかしいか』 『両者は1980年代に接近し編集者も「わからなくなった」と本音をもらした』 『ジャンル分け不可能な小説が増えてくる』 『純文学だろうとエンタテインメントだろうと、良い小説は良いのだという人もいたが』 などという文章に「うーん」と最近の踊らされているような自分を振り返った。 もちろん、小林信彦さんの文章の要点は 『海外の新しい小説』を基準にした日本の小説を書くべく編集者に期待され、『<伝統的な小説=私小説>の方に片足を置いて』書いた連作集 旧作の『袋小路の休日』を紹介しているのが目的だろうが。 小林信彦さんは1960年代から『いわゆる<純文学>を書いていたのだが、ぼくの考える文学(英国で発達した小説)と日本伝統(?)の文学とは全く一致しないことに気づいた』そうだ。 そこで私、小林信彦さんを読んでいないので俄然興味が湧いてきた。 大掃除の畳干しの際、間に敷いてあった新聞を読みふけるだの、お弁当の包み紙にしていたのを読みながら食べるだの(これ、サザエさんの古い漫画の世界、わたしゃしらないよ~)と同じで包み紙にしている新聞からも情報得られるのだー、と変なところで感心した。情報はITだけじゃない! さて、多すぎる読みたくなる本の山。いったい私はどうすりゃいいのよ。 ちなみにその新聞の裏ページには岡野宏文・豊崎由美著『百年の誤読』の書評もあった。それも図書館さまにリクエストしているのよね、わたし!(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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