「他人の不幸は蜜の味」
あちこちTVの番組を廻していたら
タレント脳科学者がおっしゃっているのを耳にした
番組は見なかったが、その言葉は知っているし
わたし自身にもそんなところがある
はて?ブログって
なにげない日常の好いこと、嬉しいことを言っても
あるいは過去のやってきたことどもの
よさそうなこと、喜びのことを披露しても
そんなこと他人にはどーでもいいか
自慢げに聞こえるのではないかな
もちろんそこにユーモアがあれば楽しいし
ほのぼのとしたあたたかみがあればほっとするだろうが
世の中
「そう、それはよかったねえ~」と単純ではない
そんな風に思うわたしの根性が曲がっているのか
では、本日は
自分の根性曲りの性格
欠点ないし不幸の部分を紹介しよう
数字が羅列してあるともうダメ
第一、日常スーパーでの買い物の時値札を見ないで買う
まして比較検討するなんていう芸当ができない
おいしそうなもの、自分の好みに合ったものを
ポンポンかごに入れてしまい
レジでその金額にびっくり、家計がめちゃめちゃである
過去、事務の仕事で桁数を間違え大叱責、大失敗の数々あり
もちろんなんども確かめるのだが、その間違いに気が付かないバカ
脳の一部が欠損しているのかもしれない
あ、このあいだ脳のMRIで諸所、脳梗塞を起こしていたのが分かった
お医者様は「楽勝の梗塞」とおっしゃったが、、、
一例、借りたものは必ず返さないと気持ち悪い
母子の間でもそうしたので、母から遺産をもらえなかった(かわいくな~いそうで)
そんな性格だから他人に貸したもの、特に本が返ってこないと気に病む
返してとくれ!と言えない、気の小ささもあるのがなさけない
信じやすいので疑り深いと思う
他人の言葉をストレートにとる
それがだましとわかった時、落ち込むことおびただしい
だもんだから
「それはほんとうかいな」といつも思うようになった
話し方がへたなのか頭が悪いのか、直截にものを言ってしまう
飾らず、お世事言わず、ぼやかさず
いいものはいい
悪いことは悪い(このときは時に言わずに黙ることもあるが)
だから誤解、曲解、憤激、激怒を呼ぶらしい
つまらないことにこだわるのである
本は一巻から順番に読まないと気持ち悪いし
読み始めたらきちんと全部読まないとならない
たとえば
先日友人から司馬遼太郎の『尻啖え孫市』の文庫本を貸してもらったが
上、下巻とあり、上巻が角川文庫下巻が講談社文庫であった
その出版社違いで揃える友人のこだわりなさが気持ち悪かったが
ま、そこは我慢して角川上巻を読み、講談社下巻に読み進んだら
ストーリのつじつまが合わない
もしかして?とネットの「なか見検索」で目次を調べたら
角川と講談社で上下巻の章区切りがずれていて、2、3章が抜けているのだった
さっそく読むのを中断して、わざわざ角川の下巻を発注し
下巻だけあっても嫌だから、上巻も注文して(ほんと、わたしバカね)
無事読み終わったら、何食わぬ顔で友人に元のままの上下巻本で返した
彼女、読んだだろうに気が付かなかったんだろうかね
言う気も起らねぇ
こんな部分もわたしの人格である