木宮高彦著『小説 与謝蕪村』にこんな場面があった
招波(蕪村の弟子) 「俳諧とは一体いかなるものを言うのでしょうか」
わたし 「はいはい、わたしも知りたい」
蕪村 「俳諧とは俗語を用いて俗を離れることをたっとびます」
わたし 「?!」
蕪村 「俗を離れて俗を用いるー離俗の法」であって「俳諧禅」でもある
わたし 「禅のようなものなのかしら、禅もつかみどころないし...」
ところが
こんな小難しいことを弟子にいう蕪村だが「俳諧は詩である」という考えなのである
しかし江戸時代にそんなことは受け入れられないのである
それが蕪村の天才的な先取、先進なのであるという
そして尊敬する芭蕉の「わび」「さび」「かろみ」を踏まえて
伝統に画されながらおのれの発するものを信じて孤独に生きた蕪村であった
(だいぶはしょった)
ま、わたしは小説として蕪村を読んでのであるから
「天才はいつも孤独である」というロマンに満足しよう