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ぼたんの花

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2004/07/01
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テーマ:戦争反対(1187)
カテゴリ:戦争反対 2
 (某S氏さんは日記を書き換えたのですか?
HPにはお伺いしていませんが、テーマの見出しを見ただけですので内容はわかりませんが、
確かブレマ-の文字だけはテーマの中で見えたのですが・・)

『イラク派遣と国連平和維持活動(PKO)との違いは、「日本独自の判断」で部隊を送り込んだこと。国連からあてがわれた任務を忠実に実施するPKOと違い、イラクでは「どこで、何をするのか」を自衛隊が主体的に決めている。

 実は「自立の芽」は、今年五月まで二年間続いた東ティモールのPKOで生まれた。

 東ティモールには、PKO参加国の代表者が集まった「国家派遣代表部」があった。PKO部隊が任務を行う「軍令部」とすれば、活動内容を現地のPKO本部と調整し、部隊に指示する「軍政部」に相当する。

 各国は国家派遣代表部に大佐を送り込み、大使館や外務省と協議して活動内容を決めていた。日本からは少佐級の三佐が送り込まれたが、格下では調整にならず、重要な会議には派遣部隊長の一佐が参加し、活動内容を決める方式をとった。

 その際の協議先は外務省ではなく、主に陸幕であった。

 ここで重要なのは、日本だけが軍令と軍政を混在させていた点にある。しかし、教訓としてイラク派遣に引き継がれたのは「調整機能の強化」だけ。渉外・総務を担当する「イラク復興業務支援隊」の隊長を大佐級の一佐とし、部下として九十人もの隊員を派遣した。

 陸自幹部は「海外派遣を決めるまでは国会で大論戦が展開されるが、送り出した後は制服組任せ。自分たちで情報を集め、決断するしかない状況に追い込まれる」という』
(東京新聞2004.07.01 http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20040701/mng_____kakushin000.shtml)

今回、イラクでの自衛隊の評判は、日が経つにつれ『評判ほどではない』という
イラク国民の評価が、出始めているということは聞いていた。
そしてオランダ軍のほうが実際の役に立って、人気もあったという。

自衛隊の派遣の中には、部隊の役割がイラク国民が欲している内容と違うのは、
最初のイラクへの派遣で感じた。

ただ派遣させればよいという、首相の思惑であったのか実際、『復興支援』ができる
部隊は少なく、工兵の数より戦闘員のほうが多いのもおかしな話で最初から解っていることです。

『教訓収集班が注目したのが、派遣部隊と同じサマワで活動するオランダ軍の手法だ。治安部隊とは別に「民生協力部隊」と呼ばれる公共事業発注の専門部隊を持ち、製図から入札まで工事発注の一切を引き受けている。』
とあり、やはりその通りだったようだ。

前倒しで、イラク主権譲渡でブレマーさんは、お帰りになったようだけれど
フセイン政権の時から働いていた英語が堪能の美人の35歳、『愛人』も
『結婚するかもしれない』と言い残し、アメリカに向かう準備をしているという。

しかしブレマーさんは、60歳過ぎで(別に愛があれば歳は関係ないが)
アメリカには奥様がいらっしゃる。

イスラームに改宗すれば、奥様は4人まで持てるのですが。
CPAでの使途不明金は、何千億ドルとかいう。

彼女にイスラームのきまりの婚資金は、イクラあげたのでしょうか。

イラクの新しい旗は人気が無くて、フセイン政権時の旗を使っているとか。
米英が駐留する『多国籍軍』に不満があり、そしてフセイン政権時の武器の管理が
出来ていなく、盗まれてしまったそうだ。

アメリカ軍としては、『憎しみの連鎖の種』を最後まで、たくさん蒔き、
イラクの治安を心配するなら、まず、米英が撤退を。

そうすれば自衛隊員の安全は、自ずと守られる。


2005年に拡大解釈ができる改憲をするまで、『復興支援だ!』と詭弁を通し
選挙後は『国民に支持された』とイラクで『殺人ができる自衛隊』になるまで
アメリカさんに待っていただくのだろうか。

少なくとも『疑わしき劣化ウラン』で隊員が被爆いないように『手袋とマスク』ぐらいは
用意して欲しい。


シビリアンコントロールと言っても、実際に迎撃ミサイルを配置すれば
全てアメリカ軍の思いのままに攻撃できる。日本政府にお伺いを立てる暇も無いだろう。

今現在は、それでも『平和憲法』が自衛隊を抑制し、隊員の安全を守っている。

『後藤田氏は自衛隊の前進である警察予備隊の創設にかかわって、「戦前の軍隊は海外派兵を目的につくられた。しかし自衛隊はオーバーシーの軍隊ではない」という明確な原点を持っている。』

だから海兵を減らせと仰るのですね。

与党の中心で働いた人なので、私は偏見を持って見ていたのかもしれない。

後藤田さんは、『体制の守護者』ではなく、『権力の自制』の役目に徹してくださっていたようだ。

『』内は「後藤田正晴 二十世紀の総括」の記者の後書きより、一部引用。









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Last updated  2004/07/02 12:29:30 PM
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