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ぼたんの花

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2008/06/09
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テーマ:本日の1冊(3684)
大きな政府か小さな政府かに関して言うと、私は非常におかしいと思っている議論がある。それは新保守主義という議論である。当初、私は新保守主義というのは何を指しているのかよくわからなかったが、サッチャー主義、レーガン主義のことを新保守主義と言っているようだ。そうだとすれば、今、その立場に立っての議論を日本が始めるのは、ワンサイクル遅れていると思う。


なぜならば、サッチャーさんというのは、戦後のイギリスの相当長い労働党支配の中で、経済がにっちもさっちもいかなくなったことを背景にして、保護や規制を突破して、競争原理による自由なマーケットにしようということで、いわゆるサッチャー改革を行ったわけである。だからそれなりの背景があった。


そしてそれは成功した。イギリス病を克服したのである。しかし、その結果、イギリスはどうなったか、ヨーロッパはどうなったかというと、激しい競争原理のために、貧富の懸隔が激しくなり、失業者は巷にあふれ、失業者は10パーセントになっている。それだけ世の中が混乱してしまったのである。


そのためサッチャー改革からワンサイクル過ぎた今では、イギリスでもヨーロッパでも、このままでは資本主義の横暴になってしまってよくないということで、自由な面を残しながらも、ある程度、規制をかけようという動きになっている。それがヨーロッパでの社会民主主義の勢力になっている。

その社会民主主義というのは、昔のマルクス主義の社会主義とは違うと思うが、いずれにせよ、行き過ぎた競争、行き過ぎた自由主義に歯止めをかけようというのが、最近のヨーロッパの傾向なのである。そういう中で、日本がいまさら新保守主義を言うのは、ワンサイクル遅れた議論ではないかと思うのである。

今のままの議論で、日本の議論がまとまったとすると、これは間違った方向へ行ってしまうのではないかという気がする。


中略


私が治安を言うと、みんな嫌うのだが、失業者が増えて、社会不安になると、治安情勢も悪くなることが考えられる。昭和7年3月に団琢磨さんが三井合名の正面階段のところで暗殺された。それから何ヵ月後に、今度は犬養毅さんが暗殺された。あの頃、私はまだ中学生だったが、要人テロがあるとみんな快哉を叫んだのを覚えている。


当時のことを知っている私の同年輩の知人などは、『今の世の中も、こんなに景気が悪くなって、失業者が増えているが、これがもっとひどくなって、失業者が巷に溢れるようになったら、また昔みたいに要人テロが起こるようになって、えらいことになるぞ。』と心配している。


今はまだ、景気が悪いと言っても、これまでの貯えなどもあるから、なんだかんだと言っても、そんな心配はにと思って、政治家も経営者たちも心配しないで過ごしているが、これが本当に財布の中身がない、職が無いとなったら、それこそ治安問題である。そういうことまでちゃんと考えて、新保守主義と言っているのかという懸念を、私は感じるのである。競争による富の増大はいいことだが、問題はその配分が大事であることを忘れないで欲しい。


ソーシャルセイフティーが肝心である。



「二十世紀の総括・後藤田正晴」社会経済生産性本部21世紀へのメッセージ刊行委員会編
生産性出版 1999年6月20日 より引用




これは、1999年に出版されたもの。確かに政治家として歩んだ中には、判断ミスもあったかもしれない。小選挙区制を進めた後藤田さんの気持ちの中には、一党独裁的な政権を代えるには必要な制度と考えた節もある。それを大手広告代理店、マスコミを使って逆に米国に利用されてしまった。

死刑につて、後藤田さんの意見は「死刑制度がある以上、刑の執行はされなければならない」という意見だったように聞いたことがある。死刑制度を廃止する、という意見を私は、いままで受け入れられなかった。自分の愛する家族が殺されたら、当然、死刑にして欲しい。殺人犯が生きているというのは、納得がいかない。他の人を殺したら、自分も殺されることになる、ということも当然だと思ってしまう。

ところが、「裁判は、敵討ちの制度では無い」ということを言われた人がいた。殺された人、死者の気持ちを代弁しているつもりでも、それは、被害者本人ではなく、残された人の気持ちであるのだ、ということ。そして、また冤罪がとても多いことも一方にある。刑を執行してしまったら、取り返しが付かない。死刑制度がある以上、その刑は執行されなければならない。と言った後藤田さんは、やはり法の番人であったように思う。まず手続きとしては、死刑廃止、それが適うには終身刑ということも視野にいれる。最近、宮台真司さんが同じようなことを言った。『私の妻や子供が殺されたらその犯人を私は殺す。だけれど、判決は、また別なことだ』と。自分の感情と法とは、別物でなければ危険である、と。


後藤田さんは、学生運動への対応は、「軍隊を出さずに治安を維持する」という信念のもとに対処していった。警察力を出しすぎてしまったという場面もあっただろうが、最後まで自衛隊を使わなかったことは、立派だった。軍隊なら多量の動員がなくても治安は維持できる。『軍隊は圧倒殲滅が目的である』と言い切っている。今、沖縄では住民を圧する為に、自衛隊が使われている。後藤田さんが生きていらしたら、どう思うだろうか?


要人テロは、起きないが、強いものにたち向かうより、弱者に向かっての攻撃が多い。それは夫からのDVであったり、子供への虐待であったり、弱いものイジメが当然のごとくされている。これは学校という教育の現場であってもそうなのだろう。そうやって学校生活を送ってきた人たちが殆どなのだろう。







↓音楽が流れます。お仕事中の方はお気をつけて
Love Love Love
母





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Last updated  2008/06/09 05:37:54 PM
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