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ヴェネツィアの獅子たち

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Reiko Fujiwara Marini

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2008/02/09
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カテゴリ:島物語
 1715年4月、命からがらヴェネツィアへの船旅を終えた12人のアルメニア人修道士たちは、サン・マルコの埠頭で、検疫のための40日間を過ごします。モドーネに残っている人々や修道士たちへの祈り、祖国アルメニア語を忘れないための読書、そして新天地の言葉ヴェネツィア語の勉強に、隔離された不自由な時間も有意義に過ぎてゆきます。
 その中で、メキタルは確信します。『あらゆる観点からも、ヴェネツィアは神の啓示だったのだ。』と。おそらくそれは、もう後がない彼の、ミッションへの覚悟でもあったのでしょう。

 しかしヴェネツィア政府は、新たな修道会の拠点をヴェネツィアの街におくことは禁じていました。にもかかわらず、ヴェネツィア人のアルメニア人への好意的な感情と、とりわけメキタルに対する敬意や賞賛が、たくさんの推薦書や嘆願書となって、政府の「禁止」の解釈をやわらげることになったのでした。
 「島々は例外とする」こうして、メキタルは第一候補のサン・ラザロ島へ下見に行きます。島が放棄されてから時が経ち、かつての教会も朽ちて深い茂みにおおわれていました。しかし、メキタルの目には、未来の信仰と知の、光り輝く場所として映っていたのです。

 1717年9月8日、メキタル以下アルメニア人修道士たちが、小さいけれど(7000平方m、甲子園球場の半分)島全部が永遠に彼らのものであるサン・ラザロ島に入ります。
 1749年4月に黄疸で亡くなるまで30年以上の日々を、メキタルは神と祖国への愛情の二本柱で、伝道とアルメニア文化の維持、発展に尽くします。

 何世紀にもわたって、アルメニア人修道士たちが収集したり、寄贈されたりした工芸美術品が今では博物館として展示され、図書館とともに、アルメニアの文化保存センターとしても機能しています。
 書籍については収集だけでなく、1729年にオランダから購入した印刷機で、出版や編集にも力を入れ、コレクションも合わせた蔵書は15万冊にものぼります。
(写真は、バイロンも過ごした修道院の回廊)






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Last updated  2008/02/10 02:52:11 AM
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