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70年代の犠牲者は、ロックグループ「WHO」のマネージャー クリストファー・ランバートでした。 「ダリオ館」は、すでに「呪われた館」として有名になって いましたが、彼はこれまでの出来事を、くだらない迷信として まったく気にかけませんでした。 「悪いことは言わないから、あそこは止めた方がいい」という 忠告にも「そんな、前近代的な!」と、一笑に付しました。 しかし契約直後、ロンドンの家で階段から転落して 亡くなってしまったのです。 80年代の挑戦者は、ヴェネツィアの実業家で、姉とともに 移り住んだとたん、彼は破産、姉は事故死してしまいます。 次のイタリア人テノール歌手が、買い取りに向け、 契約のためヴェネツィアに赴こうとしたところ、 交通事故に遭い、命はとりとめますが、契約は白紙となります。 そして最後のオーナーは、投資家ガルディーニで 彼もまた破産した上、贈収賄容疑のスキャンダルに 巻き込まれ、自殺しています。 そして15年以上の沈黙の後、この「ダリオ館」を アメリカ人企業家が購入し、再び光が当てられようとしています。 15世紀にこの館が計画される以前、この場所は墓地だった という話があり、そこに建てたのが、第一の過ちである? とする説などもありますが・・・。 ゴシックの建築様式で、ファサードはルネサンス風の 少し傾斜しているこの美しい館に、「滞留した負のエネルギー」 のようなものがあるのでしょうか。 だとしたら、今回の変化で新しい風と光が入り そうした「負の連鎖」のようなものが、一掃できると いいのですが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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この素敵な館の負のイメージが払拭されることを願っています。大運河の反対側の壁にはアンリ・ド・レニエが滞在したことのプレートが掲げられていたと思いますが、ヴェネツィア行の前、『水都幻談 o ヴェネチア風物誌』を読みました。最近、映画『旅情』を見返していて、橋の欄干を少年が滑り降りるシーンは傍の橋に違いないと思いました。
(2008/05/08 07:03:40 PM)
アンリ・ド・レニエは、1899年から1901年に住んでいたとのことです。このフランスの詩人には、不幸の連鎖は及ばなかったようですね。私は実は、このダリオ館を運河側からしか見たことがないのです。また今度そのプレートを見に行ってみます。
映画『旅情』は、私にとっても見るたびに小さな発見があってお もしろいです。この街には、映画の撮影当時の風景がほとんどそっくりそのまま残っていますから。 (2008/05/09 02:36:42 AM) |