時間の陥穽174
ナーガールジュナの時間論は、彼の著書「中論」の19章「時の考察」に非常に簡単に述べられています。此の章の「時」とは「三つの時」言い換えれば「三世」としての、過去・現在・未来のことです。これは何も仏教に限らず、古代インドの思想からの伝統を踏まえています。インドでは「時」が「三つの時」として理解されていた事実が、ナーガールジュナの縁起説すなわち彼の自性主義批判にとって非常は引用に都合のよいものだったのです。自性(じしょう)とは、「モノ」それ自体の独自の本性、「もの・こと」が常に同一性と固有性とを保ち続け、それ自身で存在するという本体、将又、そのものが独立し孤立している実体のことであり、根本的な性質、存在の本質を表す。西洋哲学の実体に相応する概念で、仮に「時間」に自性論を持ち込めば、「モノ」の自性は自立・独立・永存していることになります。世界が過去・現在・未来はそれぞれまったく別の事象・時制を指しているのか、それとも同一の事象を指しているのかということ課題が浮上します。其れとは豈図らんや、其れ其れが同じものを指しているのだとすると、過去も現在も未来もその区別がなくなってしまうという事象を受け入れる誤謬が待ち受けます。他方、それぞれがまったく独立した事象であるとすると、明らかに認められる過去と現在と未来の関係が、全く説明できないという別の受け入れがたい事態に落ち込まざるを得ません。こういう受け入れがたい事態、誤謬を犯すのは時間に時制を持ち込み自立・独立・永存の自性を想定するという間違いを犯しているからだとするのナーガールジュナの「時の考察」です。
哲学・思想ランキング