カテゴリ:絶対存在論
神の存否-36
スピノザが御伽世界の神話の神としてか、まるで神が不足を充足するために何かを欲するが如くに捉えているのを激しく排撃するには当然にその回答が用意されています。それは「エチカ」第一部の「神について」の後半最後部に設けられた「付録」、実は付録どころかスピノザの心象を吐露したと目される次の文章が真相を顕にします。「以上をもって私は神の本性を示し、その諸特質を説明した。すなわち神が必然的に存在すること、唯一であること、単に自己の本性の必然性のみによって在りかつ働くこと、万物の自由原因であること、ならびにいかなる意味で自由原因であるかということ、すべての物は神の中に在りかつ神なしには在ることも考えられることもできないまでに神に依存していること、また最後に、すべての物は神から予定されており、しかもそれは意志の自由とか絶対的裁量とかによってではなく神の絶対的本性あるいは神の無限の能力によること、そうした諸特質を説明した。さらに私は、機会あるごとに、私の証明の理解を妨げるような諸偏見を取り除くことに努力してきた。しかしまだ少なからぬ偏見が残っていて、人々が私の説明した仕方で物の連結を把握することを同様に、否、きわめてはなはだしく、妨げえたしまた現に妨げえているのであるから、それらをここで理性の検討に委ねることはむだではないと思うのである。」と。此処からは所謂、人間の精神心理学、其の神の創造図と其の表象を批判しています。当然に量子宇宙論では物理科学に立ち位置を持つ以上、観測は無理にしても物理学的な認証を究めんとします。其処には人間の精神や情緒の反映は許されてはいません。 哲学・思想ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年04月28日 06時02分22秒
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