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Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2021年09月28日
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カテゴリ:絶対存在論
神の存否-183
 此の地球上にウィルスを含めて生命らしきものが発生して以来、其れ其れに個の自己保存衝動を獲得しており、そのためには他の個体を殺伐または自己に吸収、有利に利用するしか個を保存発展するしかすべがありません。単一細胞を持つアメーバより下等とされるウィルスですが、実相は人類の進化に深く関わっており、人類の体の遺伝子の60%がウィルスにより成り立っていると言われる程です。此れはウィルスが人間の進化に極めて有効に作用した偶然若しくは神の恩寵でしょう。此の自己増殖を伴わない生命ともつかない
ウィルスですが自己保存衝動だけは天賦されているようです。スピノザは当然に生命進化にも通暁していたようですから、個の自己保存衝動を否定しているわけではありませんでした。
 前述上の議論は、個の自己保存衝動を否定しているわけではない。各々が存在に固執する力は、神の性質の永遠なる必然性に由来する。欲求の元は神の在りかつ働きをなす力に由来する個の自己保存のコナトゥス(衝動)であることを、スピノザは認めています。しかし、その各々が部分ではなく全体と見なされるかぎり諸物は相互に調和せず、万人の万人に対する闘争になりかねないこの不十全なコナトゥスのカオスを十全な方向へ導くため、全体としての自然、スピノザの概念としての神の必然性を理性によって認識することに自己の本質を認め、またこの認識を他者と分かち合うことが要請されるとしています。
 このようにして、民衆が自然を説明するに用い慣れたすべての概念は単に表象の様式であって、何ら物の本性を表示せずただ表象力の状態を示すのみであるということを我々は知る。そしてこれらの概念は、あたかも表象力の外部に存在する実有を意味するかのような名称を有するから、私はこれを理性の有とではなく表象の有と呼ぶ。こうして我々はこれと類似の概念に基づいて、我々に向けられるすべての論拠を容易に撃退することができる。すなわち、多くの人々は次のように論ずるのが常である。もし万物が神の最完全な本性の必然性から起こったとするなら自然におけるあれほど多くの不完全性は一体どこから生じたのか。例えば悪臭を発するにいたるまでの物の腐敗、嘔吐を催させるような物の醜怪、混乱、害悪、罪過などなどはどうかと。しかし、今も言ったように、これを反駁することは容易である。なぜなら、物の完全性は単に物の本性ならびに能力によってのみ評価されるべきであり、したがって物は人間の感覚を喜ばせ、あるいは悩ますからといって、また人間の本性に適合しあるいはそれと反撥するからといって、そのゆえに完全性の度を増減しはしないからである。さらになぜ神はすべての人間を理性の導きのみによって導かれるようなふうに創造しなかったかと問う人々にたいしては、次のことをもって答えとするほかはない。すなわち神には完全性の最高程度から最低程度にいたるまでのすべてのものを創造する資料が欠けていなかったからである、あるいは、もっと本源的な言いかたをすれば、神の本性の諸法則は、定理一六 神の本性の必然性から無限に多くのものが無限に多くの仕方で、言いかえれば無限の知性によって把握されうるすべてのものが生じなければならぬで示したように、ある無限の知性によって概念されうるすべてのものを産出するに足るだけ包括的なものであったからであると。これが私のここで述べようと思った諸偏見である。もしこうした偏見の粉末がいくらかまだ残っているとしても、誰でも少しく考察すれば、その誤りを正しうるであろう〈ゆえに私はこうした事柄にこれ以上留まっている理由はない云々。

                          第一部 終り




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最終更新日  2021年09月28日 06時10分05秒
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