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Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年05月19日
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カテゴリ:絶対存在論
神の存否-414
 定理二六 我々が理性に基づいてなすすべての努力は認識することにのみ向けられる。そして精神は、理性を用いる限り、認識に役立つものしか自己に有益であると判断しない。
 証明 自己保存の努力は物自身の本質にほかならない(第三部定理七 おのおのの物が自己の有に固執しようと努める努力はその物の現実的本質にほかならない。により)。そして物はこのようなものとして存在する限り、存在に固執する力(第三部定理六  おのおのの物は自己の及ぶかぎり自己の有に固執するように努める。により)、ならびにその与えられた本性から必然的に生ずることをなす力を有すると考えられる(第三部定理九の備考における衝動の定  努力が精神だけに関係する時には意志と呼ばれ、それが同時に精神と身体とに関係する時には衝動と呼ばれる。を見よ)。ところで理性の本質は明瞭判然と認識する限りにおける我々の精神にほかならない(第二部定理四〇備考二におけるその定義 我々が事物の特質について共通概念あるいは妥当な観念を有する。そしてこれを私は理性(ラティオ)あるいは第二種の認識と呼ぶであろう。を見よ)。ゆえに(第二部定理四〇 精神のうちの妥当な観念から精神のうちに生起するすべての観念は、同様に妥当である。により)我々が理性に基づいてなすすべての努力は認識することにのみ向けられる。次に精神のこの努力、云々。理性的に思惟する限りにおける精神が自己の有を維持しようと努めるこの努力は、認識することにのみ向けられるのであるからには(この定理の始めの部分 我々が理性に基づいてなすすべての努力は認識することにのみ向けられる。)により、認識しようとするこの努力は(この部第四部の定理二二の系 自己保存の努力は徳の第一かつ唯一の基礎である。なぜならこの原理よりさきには他のいかなる原理も考えられることができず(前定理二一 何びとも、生存し行動しかつ生活すること、言いかえれば現実に存在することを欲することなしには幸福に生存し善く行動しかつ善く生活することを欲することができない。)により、また、この原理なしにはいかなる徳も考えられえないからである。)により、徳の第一かつ唯一の基礎である。そして我々は何か他の目的のために物を認識しようと努めはしないであろう(この部第四部の定理二五 何びとも他の物(*事物・者etc)のために自己の有(*哲学的な恒常有ではなく人間本性の欲性的有)を維持しようと努めはしない。により)。むしろ反対に、精神は理性的に思惟する限り、認識に役立つものしか自己に善であると考えることができないであろう(この部第四部の定義一一 善とは、それが我々に有益であることを我々が確知するもの、と解する。により)。Q・E・D・此れが証明すべきことであった。
 記:人間の定義に「人間は理性的動物である。」と云うものがあります。人間の「理性」の役割は「社会性」にあります。例えば、屡々、野生動物に見られる共喰い、人類に最も近接するチンパンジーの共喰いは
、人間の脳において特に肥大化が見られる、「理性」を司るとされる「大脳新皮質」の未発達だと言われています。しかし其れも極限状態に陥ったときには表面化した事実から、理性とは人間の本質かと問えば疑問が残ります。本能>理性・理性<本能は史的事実からも少なからず怪しくなります。(あなたは、クジで食われる側になりますか?。)



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最終更新日  2022年05月19日 06時10分06秒
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