多分、私は、仏教には詳しくないけど、ブッダは、墓は要らないといったと思う。輪廻や来世は、当時、バラモン教が、ソレが当り前だから、たとえでそういうことを行っていたのだと思う。ブッダ事態は、そんなこといわなかったし、いわゆる涅槃でもうこの世には還ってこないと言った。
葬式の形式を作ったのは、その後の中国かもしれないし、徳川時代に寺が教育から住民管理までまとめた寺のせいかもしれまい。
禅問答ではないけれど、人間は死んだらその先はないと考える時点で、その先にはもしかして天国や地獄を考えてしまうものなのだろう。
プラハの看板