アメリカらしく、ノースリーブからコートの人間まで歩く街も、朝の5時、ビルの軒先で眠る宿無しと、サングラスをしたランニングの親父、そして徹夜で飲んだくれた黒人が道の真ん中で眠っていた。 既に、都市機能は胎動し始め、バス、地上を走るメトロが走り始めている。ケーブルカーもこの時間なら待ち時間なしで乗れる。チケット売り場も閉まっており、その前に切符売りの親父が一人ぽつりと立っている。
風が心地よい。風景と私の感情が、映画のセットのように陳腐だ。それほど高いビルはないが、ビルの上空あたりは霧で隠れている。
バスが、ふらふら歩いている酔っ払いの肩に当たり、酔っ払いの黒人は倒れ大声で文句を言っている。泣き言のようだ。運転手はバスを止め、すまないという顔はせず、大丈夫か、と彼を抱き起こし、バスに乗せた。乗っている数人の乗客は、あまり関心なさそうに、その光景をチラっと見ただけであった。
ベイブリッジまで徒歩40分。交通量が世界一多い橋らしく、瀬戸大橋が出来るまでは世界最長の吊橋であったということである。その脇にあるフェリー乗り場では、マーケットの準備をする人々で多少賑わいかけていた。その脇にある公園では、相変わらず何人かの人が夜を明かして眠っており、頭のいかれた奴が、私の方を向きながらも、私ではない誰かに怒鳴りかけていた。早朝である。
都市に植えられた整ったパームツリーは不自然に思えて好きになれない。好みの問題に過ぎないのであるが、ビーチに自然にメクラ滅法に生えた椰子に生命力を感じ、それが美しいと思う。
その後、チャイナタウンに入り、公園で体操をする世界中華街共通の風景を見つつ、先に進む。何かを食べようかと思うが、まだ、準備している状況で、店は開いていない。
ここの住人ではないというよそ者的感覚が何故そんなに楽しいか。責務責任義務を逃避しているように思えるのだが、多分、そうなのだろう。誰にも怒られず、誰からも無関心にされ、記憶を買い、街に金を落とすだけだ。少し寂しいな、という感覚があれば、旅は、尚、いい感じだ。
掃除してくれている人、ありがとう、少し、そう思えれば、それは、それでいい。
二〇〇七年夏
メキシコ行き失敗
メキシコ行き失2敗
サンフランシス1コ
サンフランシスコ2
サンフランシスコ3
サンフランシスコ4
サンフランシスコ→成田→バンコク
矯正博物館
バンコク原点序章1
バンコク原点序章2
歓楽街にて コンドムレストラン
クルンテープにて
1985年のロンリープラネット
1987年バンコクから南下