ナンマドール以外の紹介です。
宿を出て中心部と思われるところに歩いて行く。
国の中心部。
学校も、子供だらけです。ラップムージックが鳴り響いていました。たまたまです。
これがポナペオリジナル製品だ。オイルやシャンプーや石鹸とか書いてあるが、しかし、ポナペでこれはという一押しは、ペッパーだ。レストランで使ったがパンチが効いている。しかし、土産物屋に置いていないというか、土産物屋がない。空港にあるのも、マジュロと同じ貝殻製品だけだ。島の南部にあるペッパープランテーションの前を通ったが寄ったらよかったと思う。何せ、スリランカのペッパーガーデンで、カックンだったからだ。何がカックンだったかというと、まあ、ペッパーそんなになくならんやろって話。このポナペペッパーは日本人と現地の女性が結婚して創立したとかって話。
スーパー入口では、日本でもあるように張り紙情報交換。ボートも36万円(4500ドル)でどうだ?
台風の心得もあって、住民を鼓舞しているよ。
パラボラアンテナがいっぱいあるところもあって、使われてなくて朽ちていくアンテナもあったよ。その道の前には、日本食の何だったかな、テイクアウトの屋台もあって、前を通ったら日本人女性らしき人が座っていた。その奥にも、日本人女性の名前のついたレストランがあって、そういえば、日本が統治した時代だけ、この国貿易黒字になったという。
スペイン砦、観光地です。
ウオルマート
ゴミ箱
古い建物
郵便局
猫も随分前になくなったようだ。
昔、インドのシャンティニケタン(タゴール大学のある村)という村に滞在してたとき、毎晩、同じ場所に同じヤモリが出現した。ほんま、同じかというとまあ、大きさが同じであるからそう思っただけかも知れない。明るさに寄せられた蛾や蟻を信じられない速度で壁伝いに走り、捕獲する。
棘のある植物。
啓蒙看板。
ポルトガル人がインドネシアの途中、ヤップとユリシー環礁に来る。スペイン人がミクロネシアの島々に来航。
1886 スペインがマリアナ諸島、カロリン諸島の領有権宣言。
1899スペインがミクロネシアの島々をドイツに売却。
1914第1次大戦始まる。日本は現在のミクロネシア(南洋群島)連邦、パラオ、マーシャル、北マリアナを含むミクロネシアを占領。
1920国際連盟から日本のミクロネシア(南洋群島)委任統治が認められる。
ミクロネシア全体で、日本人の人口が10万人を超える。(当時、ミクロネシア人は、4万人。)
1945太平洋戦争終結。米軍の占領始まる。
1947国連の太平洋信託統治領(TTPI=Trust Territory of the Pacific Islands) として米国の統治始まる。
1951 TTPIの統治が終わり、権限がミクロネシアの省庁に移される。
1965ミクロネシア議会発足。
1969信託統治終了後の政治的地位に関し、米との交渉を開始。
その後、北マリアナ、マーシャル、パラオ、その他のミクロネシア地域(現ミクロネシア連邦)がそれぞれ米と個別に交渉することとなる。
1978ヤップ、トラック、ポナペ、コスラエの4州で連邦を構成する憲法草案が住民投票の結果承認される。
1979憲法施行。自治政府発足。初代大統領に日系のトシオ・ナカヤマ氏が就任。
1982.10米国との間で自由連合に調印。
1986.11米国との間で自由連合関係に移行。
1988.12日本はミクロネシア連邦と外交関係開設。
1991.9国連加盟。
参考 : ミクロネシア連邦政府ホームページ
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