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カテゴリ:エッセイ
こんばんは 今日は肌寒かったですね。
さて、今日は最近思わされていることを書きます。 それは自然体でありたいなっていうことです。 聖書の中に「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:31~32)っていうみことばがあります。 ぼくはこのみことばがとっても好きです☆ でも本当の意味でこの意味がわかったのはこの数年間です。恥ずかしい話しですが、神学校を二つも行っていながら、「イエスさまのみことばにとどまる」っていうことの本当の意味がわかりませんでした。 もちろん、このみことばは知っていました。頭ではわかってました。でも実際にどうやったら留まれるのかがわかってなかったんです。 留まろうとは努力しました。長い時間祈るようにしたり、異言でいっぱい祈ったりと。また「こうやったら成功する」とか「成長する」とかのマニュアル本的な信仰書も読みました。もちろん聖書もね☆ でも空回りするばっかりだったんです。 そんな中、いろんなことがあり、その挙句体を壊し、動けない状態になりました。 その中でみことばをじっくりと読み、ある時わかったんです そうやって一生懸命に留まろうとする自分の業を止めることです。 そして自分のうちにある頑張りとか努力とかは主が喜ばれないってわかったんです。 主が求めていることは、そういう「自分でどうにかしよう」とする焦りとか、またいろんな野心とか、いろんなやり方とかに頼る、そういうものを降ろして、主のところに落ちていくことです。 そして落ちるとその先には主の御手があり、主はぼくの内側を自由にしてくださいました。 それと共に主との交わりが深められています。イエスさまとの交わりは甘い交わりです(甘ったるいじゃないですよ!) ぼくのうちにいつもイエスさまはおられるので直接交わることが出来ます。 そして聖書のみことばの真理がわかってきたんです 今、「あぁ、本当に自由になるんだな」って実感しています。 とはいうものの、まだまだ何かあると焦って自分でやっちゃおうとしたり、主のみことばに留まれないときがあります。 でもそういう時も気づいたら悔い改めて、「主よ~」ってイエスさまのところに行きます。そうしたら聖霊の油がぼくの内面を塗りこんでくださって、イエスさまにとどまれるようになります。 そうやって一歩一歩、イエスさまの御姿に造り替えられていくんだなぁって思わされています。 そして今は、自然体でイエスさまから与えられている自由をEnjoyしたいなって思わされています ではでは お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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