|
テーマ:クリスチャン・ライフ(787)
カテゴリ:みことば、信仰
こんにちは~ 今日はクリスチャンの友人からとってもいい証しを聞いたので、それを分かち合います。 新約聖書の使徒の働きの中でパウロの改心の箇所がありますね。 その出来事の中でパウロは非常に興味深い事を語ってるんです。
サウロ(パウロの改心前の名前)は徹底的に迫害して、クリスチャン狩りをしていました。 そんな中での出来事です。 突然光が照らし出され、余りのまぶしさでサウロは目が見えなくなりました。 そして光の中から声がしたのです、 「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」
そう、イエス様御自身の声ですね。 その声で彼はイエス様に対して心を開き劇的な改心をしたのです。
で、なんですが、友人がこのみことばからこんなことを言っていたのです。 このパウロが救われた後の部分を見て欲しいって。 イエス様と出会い、救われた後、彼はとても大切なことを言ったのです。
「主よ。私はどうしたらいいのでしょうか。」
パウロが言ったこの祈りは非常に重要だ、だから自分はこの祈りをしてるんだと言ってました。 そう、確かに「あれしてください」「これしてください」的な祈りはよくするけど、そうではない、この「主よ。私はどうしたらいいのでしょうか」がとても重要な祈りだと。 その人も実践して祈り、その中で主からいろんなことを語られているということです。
ぼくはその話を聞いて、それは素晴らしいなって思いました。 この祈りは大切だなってね☆
そんなこんなで翌日日曜日に教会に行ったんですが、 礼拝前に席について、静まって、もう一度このみことばをじっくり読み返したら、一つのことが示されたんです。 その箇所を見ると、パウロが「主よ。私はどうしたらよいのでしょうか」ってイエス様に聞いたら、イエス様はこう答えたんです。
起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる。
ダマスコ。。。。ダマスコ。。。。だますこ。。。。 「あっそうだ!ダマスコってガラテヤ書に書いてあった」ってはっと気付いたんです。
3年間彼は誰とも会わないで、まず神様との関係を持ったのです。 今日で言えば引きこもりです。 パウロも引きこもりやってたんですね。 しかも3年間も(^o^) でもパウロの3年間の引きこもり生活ってもの凄く重要だったんですよね。 その間、誰彼に指導受けるんじゃなくて、神様から直接にいろんなことを教えられたんでしょう。 それと同時にきっといろんなプライドとかが砕かれていったんでしょうね。 なんせパウロってエリート中のエリートで、聖書についてもそうとう知っていたし、熱心なユダヤ教徒だったから、まずそういうこれまでの知識とか経験とか、いろんなものが落とされて、新しく造り替えられていったのが3年間だったのだと思います。 その後おそらくアナニヤという使徒と会い、彼を通して、イエス様の光によって見えなくなってしまった目が癒されました。 そしてそこで福音を宣べ伝え、エルサレムへと行ったのです。
神様のパウロへの導き、「主よ、私はどうしたらよいのでしょうか」という答えは、直ぐに何か行動するとか、そういうことじゃなくて、 まず神様との交わりへと導かれてるんですね。 そう、だからまず「聞く」ということなんですよね。 そして神様との関係の中で整えられて、そして行動なんです。
そしてこの3年間が「主よ、私はどうしたらよいのでしょうか」なんですよね。 直ぐにアクションするんじゃなくて、座ること、 主は「まぁ~、まずは座りなさい」って言われているんだと思います。 人間的な表現をすれば、 「まぁ、座りなさい。そしてゆっくりと心を整えて私から学びなさい」 っておっしゃってるのかなって思います。
今の時代インスタント時代で、何かアクセクしすぎてるんですよね。 今の時代だからこそ、霊的な引きこもりって大切なんだと思います。 そして今も神様は「まあ、座りなさい」って語っておられるんだと思います。
そしてこの「座る」っていう中、つまり霊的引きこもりの中で神様は整えて、その中で御自身の召しが示され、そしてそれに応答する歩みへと導かれていくんだと思います。
なんかそんなことを昨日の朝、礼拝前に示されて、凄いなぁ~って思わされました。 まっ、ともかくまずはヒッキー(引きこもり)生活なんですね(笑)
今週一週間も主の守りと恵みの内を歩むことが出来ますように☆ ではでは
☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆ ※いつもありがとうございます。 下のメールマガジン発行サイトから、お好きなサイトの名前をクリックしてください。すると登録サイトにつながります。 登録サイトに送り先のご自身のメールアドレスを入力して、登録ボタンをクリックしてください。
それとHFJメールマガジンサービスでも書いています。 こちらはクリスチャン専用のメールマガジンサービスです。 こちらを開いていただいて、15番を登録してくだされば、登録完了です。 どうぞよろしくお願いします<(_ _)> またぜひぜひお友達や教会の方にも紹介してください。 どうぞよろしくお願いします<(_ _)> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[みことば、信仰] カテゴリの最新記事
読んでいてとても恵まれました。感謝します。
ところで、パウロがダマスコにて3年間引きこもった。この数字の3ってとても意味があるんだな~って思いました。イエス様が十字架の上で死なれ、3日目に復活した「3」と、パウロの3年間引きこもったという「3」。時間の長さこそ違いますが、この「3」という数字そのものにとても意味を感じます。周りの目からすれば、パウロは活動しておらず、死んだかのように見える時間だった。しかし、まさにキリストと共に十字架に継ぎ合わされたときをパウロ自身が身をもって体験した時間だったのかもしれません。3日の後イエスがよみがえったように、パウロも3年の後、まさに神の命を生きる人へまったく変えられています。十字架の出来事が私のこととして、追体験される。この「3」という数字こそ、その後パウロがどんな迫害にあおうとも、甘んじて受けることができた原動力になったに違いありません。ふとそんなことを思わされました。心から感謝します!(*^▽^*)ノ (2007年07月17日 06時47分28秒)
さすがみのみのさん、勉強になります。ガラテヤ書とリンクさせて読みとったことはありませんでした。
で、質問です。 使徒行伝だけを読むと、ダマスコに行き三日間飲まず食わずで、その後アナニヤが来て癒した、となります。ガラテヤ書では3年間ダマスコにとどまり、その後ケパ(ペテロですよね?)に会いに行った、となります。 両方を合わせると、3日目に癒され、3年間滞在した後ペテロに会いに行った、となるのではないでしょうか? (2007年07月17日 12時36分58秒)
candy♪1026さん、こんにちは~(^o^)
>読んでいてとても恵まれました。感謝します。 ⇒ありがとうございます。 そう言ってくださってとっても嬉しいです。 >ところで、パウロがダマスコにて3年間引きこもった。この数字の3ってとても意味があるんだな~って思いました。イエス様が十字架の上で死なれ、3日目に復活した「3」と、パウロの3年間引きこもったという「3」。時間の長さこそ違いますが、この「3」という数字そのものにとても意味を感じます。 ⇒そのとおりだと思います。 彼が飲まず食わずだったのも3日間と書かれています。 この「3」というはキーワードですね。 >周りの目からすれば、パウロは活動しておらず、死んだかのように見える時間だった。しかし、まさにキリストと共に十字架に継ぎ合わされたときをパウロ自身が身をもって体験した時間だったのかもしれません。3日の後イエスがよみがえったように、パウロも3年の後、まさに神の命を生きる人へまったく変えられています。十字架の出来事が私のこととして、追体験される。この「3」という数字こそ、その後パウロがどんな迫害にあおうとも、甘んじて受けることができた原動力になったに違いありません。ふとそんなことを思わされました。心から感謝します!(*^▽^*)ノ ⇒そうですね。この3は復活の数であり、父子聖霊の3でもあります。 彼の内に十字架が大きく迫り、それこそが原動力であったことでしょうね☆ (2007年07月17日 23時43分00秒)
ふーあーゆーさん、こんにちは~(^o^)
>さすがみのみのさん、勉強になります。ガラテヤ書とリンクさせて読みとったことはありませんでした。 ⇒そうですね。 そうやって全体的にみることってとっても大切だと思います。 >で、質問です。 >使徒行伝だけを読むと、ダマスコに行き三日間飲まず食わずで、その後アナニヤが来て癒した、となります。ガラテヤ書では3年間ダマスコにとどまり、その後ケパ(ペテロですよね?)に会いに行った、となります。 >両方を合わせると、3日目に癒され、3年間滞在した後ペテロに会いに行った、となるのではないでしょうか? ⇒そう、ぼくもどう読み取ればよいか難しいなって感じます。 普通に読めばそうなりますよね。ぼくも最初そう読みました。 でもよくよく読んでみると、サウロ(パウロの旧名)は3日間目が見えず飲み食いしませんでしたね。きっと3日後飲み食いはしたのでしょう。 問題は次です。アナニヤは3日後にサウロに会ったとは書いていないんです。彼はもの凄く葛藤し、祈り、その結果サウロと会いました。 アナニヤもまたサウロの悪行を見聞きしてきて、彼に対する怒りは強かったことでしょう。また恐れもあったし信用度ゼロだったと思います。 そのアナニヤが「兄弟サウロ」とサウロのことを兄弟と呼ぶにはそうとうな時間がかかってもおかしくないです。 だからもしかしたら彼がサウロに会ったのは3年後であり、そしてその時に目が見えるようになり、そして食事をして強められたのではないかなって思ったんです。 使徒9章を見ると、その後サウロはエルサレムに行っています。だからそうやって考えると矛盾は無いと思います。 それで3年後にアナニヤに会ったと書いたのです。 (2007年07月18日 00時04分23秒)
こんばんは。
私も昨日詩篇を読んでいて 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」 で、愛する吉岡先生が じたばたするんじゃなく、神様の前に 静まりなさいということをよく メッセージしてくださったなーと思って いました。 (2007年07月18日 20時06分56秒)
debujyanaiさん、こんにちは~(^o^)
>こんばんは。 >私も昨日詩篇を読んでいて >「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」 >で、愛する吉岡先生が >じたばたするんじゃなく、神様の前に >静まりなさいということをよく >メッセージしてくださったなーと思って >いました。 ⇒そう、それ、吉岡先生のおっしゃったこと、非常に大切だと思いますよ、 ジタバタすればするほど空回り状態になっちゃいますからね。 主の御前に静まること、そこで休むことです。 そうしたら主が代わりに成し遂げてくださいます。 主は素晴らしいですね(^o^)☆ (2007年07月20日 03時35分13秒)
はじめて書き込みをさせていただきます。
私はワーキングマザーとしてバリバリと働いていましたが、退職し、今3年目です。 とても教えられました。 パウロも3年間とどまっていた時期があるんですね。 感謝です。 (2007年07月20日 13時12分55秒)
HS小さい光さん、こんにちは~(^o^)
ようこそです☆ 書き込み、心から感謝します♪ そして来てくださったこと、本当に嬉しいです☆ >はじめて書き込みをさせていただきます。 >私はワーキングマザーとしてバリバリと働いていましたが、退職し、今3年目です。 >とても教えられました。 >パウロも3年間とどまっていた時期があるんですね。 >感謝です。 ⇒そうなんですよね。長い人生の中で、立ち止まって主の御前に留まる時が必要なんですね。 3年間というのは確かにHS小さな光さんのように具体的に3年間という形もあるし、霊的な意味での3年間という意味もると思います。 でも退職されてからの3年間、いろいろなことがあったことと思いますが、主がその中で多くの事を教えられたことと思います。 主がこれからもHS小さな光さんを豊かに祝福し、愛と恵みで満たし、導かれていくようにお祈りしますね。 またぜひぜひ遠慮無くコメントくださいね。 これからどうぞよろしくお願いします。 (2007年07月20日 22時25分57秒) |
|