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カテゴリ:神社仏閣巡り
最後に立ち寄ったのは、通りの名前にもある「佛光寺(Bukko-ji)」だ。
浄土真宗には主に10の派があり、ここはそのうちの真宗佛光寺派の本山。 かつては、浄土真宗本願寺派の「本願寺(Hongan-ji)」(世界遺産)をしのぐ隆盛を誇っていた。 でも現在は、人影もまばらな静かな寺院です。 浄土真宗全体というと、仏教で一番信者が多い宗派。 だが、細かく分かれていて、その所属寺院数が多い順に、①浄土真宗本願寺派・「本願寺」(西本願寺) ②真宗大谷派・「真宗本廟(Sinsyu-honbyo)」(東本願寺) ③真宗高田派・「専修寺」 ④真宗興正派・「興正寺(Kosyo-ji)」 ⑤真宗佛光寺派・「佛光寺」と続く。 5つの本山のうち、4つまでがこの狭い京都の下京区にあるのだ。 そのうち、3つまではブログに上げました。最後の1つが、ここ「佛光寺」になります。 大師堂門から入ります。 実は、この寺院、映画『名探偵コナン 迷宮の十字路』の舞台になった場所。他にも寺院は多く登場していたが、私のこの寺院だけ行ったことがなかったので、訪れたいと思っていた。 ほら、ここ、ここ! 左「大師堂」と右「宗務所」。 ご本尊:親鸞聖人(Sinran-syonin)坐像。 アングルは違いますが。 この寺院にもありました、埋木。ハートも見つけたよ! 以前、「本願寺」で見つけた時は、夢中で探してしまいました。 左「阿弥陀堂」、右「大師堂」。 どちらも、明治時代に再建。 ご本尊:阿弥陀如来立像(重要文化財)。 このように南北に並んで堂宇が建っているのは浄土真宗独特の配置のようで、これまでの3つの寺院も全て同じでした。 その間に植えてあるのは、3本の紅枝垂桜。秩父宮・高松宮・三笠宮が植樹されたもの。 『迷宮の十字路』でも、美しい桜が印象的でした。 寺紋の「二条下がり藤」。 1212年、親鸞が山科に「興正寺」を建立。 1272年、親鸞の死後、大谷に「大谷廟堂」を建立。→「本願寺」。 1320年、第7世門主・了源が「興正寺」を山科から東山に移転。→「佛光寺」とする。 了源の妻・了明尼が女性として初めて第9世法主になる。 1465年、「本願寺」は、「延暦寺」(世界遺産)の弾圧を受け焼失。→越前に移り普及活動をする。 1480年、「本願寺」は山科に移転。 1481年、「佛光寺」の第14世門主・経豪が、「本願寺」の中興の祖である第8世門主・蓮如に帰依。 大部分の坊と信徒を連れ、山科にある「本願寺」の傍に、以前の寺名「興正寺」として建立。 弟・経誉が、「佛光寺」の第14世門主になる。 1586年、豊臣秀吉(Toyotomi Hideyosi)により、東山から現在地に移転。 こうして、浄土真宗本願寺派「本願寺」・真宗興正派「興正寺」・真宗佛光寺派「佛光寺」と分裂してしまった。 「大師堂」と「阿弥陀堂」の間を渡り廊下で繋がっています。 鐘楼。 手水舎の奥にあるのは、お茶所「d食堂」。京都造形芸術大学とコラボしている。 「阿弥陀門」。 奥に明かりが灯っている建物があるが、ここは「D&DEPARTMENT KYOYO」、京都に纏わる色んな雑貨が並んでいる。 私は、ここで組み紐の眼鏡チェーンを買いました(ただ、現在その眼鏡を落としてしまい、手元にありません)。 この「D&DEPARTMENT」は、物販・飲食・観光を通してその地域を応援する活動を行っているらしく、関西圏では、ここだけ。 さて、そろそろ帰りますかね。地下鉄烏丸線「四条」駅に向かいます。 京都銀行本店の一角に、「匂天神(Nioi-tenjin)」という石標を見つけました。まるで、鉄格子! この辺りは、匂天神町。こんな扱いの天神さんが町の名前になってます。 駒札には、 ご祭神:菅原道真(Sugawa-no-Mituzane) 「八坂神社大政所御旅所(Yasaka-jinjya-omandokoro-otabisyo)」の敷地に勧請されたとある。おお!今日、行ってきたではないか! 明治時代には「洛陽天満宮二十五社」の1つに数えられていたらしい。今、ネットで調べても江戸時代のリストしか出てこない。その中には、ここは上がっていません。 もう、夕方。暗くてよく見えません。また今度、じっくり拝見させていただきましょう。 (2017年12月上旬現在) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.01.04 11:06:47
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