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カテゴリ:世界をみる世界を知る
ウヨクの論壇も、中国問題をからめてヤスクニを押し切ろうとしたが、例のメモで右往左往だね。結局、メモの信憑性に論点をもっていかざるをえなくなった。
でもさ、あのメモは、昭和天皇が戦争のこと、開戦から敗戦にいたるプロセスをすべて体感されていたなかでの重い言葉だと思うね。三国同盟あたりから、じっと戦争というものに対する側近の行動をみておられた。 だから、いまの天皇がサイパンに行ったり、君が代をおしつけるのは、とのべられたりされたのは、昭和天皇ができなかったことを、昭和天皇だったら、と思われる事を、かわりにされて、皇室としての戦争責任を、体現されているんじゃないかな。 それに、勝ち目のない戦争に、国民をひきこんだ責任者(戦犯とはあえていわない)に対する違和感をもつ人も、中国に云々される前からいた。だから、ナベツネも靖国神社には行かないと。 その気持ちは、同様に昭和天皇ももたれていたということもわかって、感慨深かったなあ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.07.29 17:29:14
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