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カテゴリ:国内旅行
この日は5時過ぎに起床し、仕事への出発の準備を完了し、6時前に 彦根城への早朝散歩に出発。 ホテル2Fの展望デッキからの彦根城。 天守閣の姿も。 天守は3階3重。 ホテルを出発。 ホテルの隣にある、妻に頼まれた「酒々まんじゅう」販売の和菓子処 さわ泉 (わがしどころ さわせん)はもちろん閉まっていた。 中濠沿いの松並木を歩く。 この場所は藩主の参勤、着城で必ず通る場所で、当時47本植えられていたことからいろは 47文字にちなみ「いろは松」と呼ばれるようになったのだと。 当初、人馬や車などの通行の邪魔にならないよう、根が地上に張り出さない土佐松が 植えられたとのこと。 徳川四天王の一人・井伊直政の遺臣である家老の木俣守勝が徳川家康と相談して 彼の遺志を継ぎ、1603年(慶長8年)琵琶湖に浮かぶ彦根山(金亀山、現在の彦根城の場所)に 彦根城の築城を開始。幕末における幕府の大老を務めた井伊直弼は、藩主となるまでを この城下で過ごしている。 井伊大老の歌碑。 この歌碑は直弼の死から100年後にあたる1960年(昭和35年)に行われた「大老開国100年祭」に 先がけて市内の有志29人によって建立されたのだと。 「あふみの海 磯うつ波の いく度か 御世にこころを くだきぬるかな」 「琵琶湖の磯うつ波が、打ちくだけてはひき、また打ちくだけてはひくことを何回も繰り返して いるように、大老就任以来難問が何回となく押し寄せてくる。しかし、わたしは国の平和と安心を 願って、全身全霊を尽くして心を砕いてきたので悔いは残らない」というような意味と。 佐和口多聞櫓。 佐和口は南の京橋口、西の船町口、北の長橋口とともに彦根城の4つの門のひとつ。 表門に通じる入口として、大手門がある京橋口とともに彦根城の重要な城門のひとつ。 現在の彦根城のメインの入口。 朝日を浴びる佐和口桝形。左側の多聞櫓は明治六~八年に再建されたもの。 佐和口を入ってすぐの場所にある家老 木俣屋敷跡。 彦根城 案内図。 国指定重要文化財 彦根城 馬屋は工事中。 内堀に架かる表門橋。この橋を渡ると復元の御殿があり、本丸へと続いていく。 しかし橋の手前には午前8:30開門の文字が。 諦めて内堀沿いを歩こうと思っていた時に、早足で歩く早朝散歩のおじさんが この表門橋を渡って行くのを発見。 慌てて私もその後を追う。 城内への入り口。 復元された表御殿。ここは彦根城博物館になっている。 彦根城管理事務所ももちろん閉鎖中。 彦根城管理事務所の横のゲートが1ヶ所開いており、オジサンの後を追う。 階段道を登り天守閣を目指す。 1段1段の幅が広く、また登るに連れて傾斜が急になってきて実に登りにくかった。 これは意図的に造られたものであること間違いなし。 天秤櫓・廊下橋(表門側)。 空濠(通路)を跨ぐようにして鐘の丸から天秤櫓の門へ架けられている木製の橋で、 もともとは橋に覆い屋根と壁がつけられていた事から、廊下橋の名で呼ばれていると。 この橋にかつて屋根や壁が設けられていたのは、城の防備のために城兵の移動を 敵方に知られないようにするためだったと。 また、この橋には「落とし橋」としての機能もあり、非常時にはこの橋を落下させ、 敵の侵入を防ぐ事ができたのだと。 廊下橋を渡る直前に、鐘の丸側から廊下橋と、その先にある「天秤櫓」という櫓を。 天秤櫓は、上から見ると「コ」の字形をしていて、両端に2階建ての櫓を設けて中央に門が 開く構造があたかも両端に荷物を下げた天秤のように見えるため、天秤櫓と。 詳細に見ると両隅の2階櫓は棟の方向が異なっており、格子窓の数も左右で違うなど決して 左右対称ではないのであった。 この鐘楼は、かつて鐘の丸にあったが、井伊直滋の時代にここ、本丸南腰曲輪「お鐘の台」に 移設されたと。今でも1日5回 鐘を鳴らしているとのこと。鐘楼の隣にあるのは聴鐘庵と言う茶屋。 有料でお抹茶がいただけるようだ。 本丸にそびえる天守を目の前にした最後の門が重要文化財の太鼓門櫓。
太鼓門櫓を城内側から。 この門櫓は、建物の背面の東壁面が開放され、柱間に高欄(手すり)を設置して 1間通りを廊下にしている。櫓にはたいへん稀な例で、一説には名称となっている 「太鼓」が櫓の中に置かれ、その太鼓の音が広く響くための工夫とも。 そして天守閣に到着。こじんまりした彦根城天守がお目見え。 天守は3階3重、つまり3階建て3重の屋根で構成。規模は比較的小ぶりですが、 屋根は「切妻破風(きりづまはふ)」「入母屋破風(いりおもやはふ)」「唐破風(からはふ)」を 多様に配しており、2階と3階には「花頭窓(かとうまど) 」、3階には高こう欄らん付きの 「廻縁(まわりえん)」を巡らせるなど外観に重きを置き、変化に富んだ美しい姿を見せていた。 本丸からの眺め。琵琶湖が見えた。 中央の白の建物は彦根ビューホテル(旧彦根プリンスホテル)。 彦根から6km、琵琶湖の真ん中に浮かぶ多景島が見えた。 元は島内に竹が多く自生していることから「竹島」といっていたが江戸時代に荒神山から 土を運び植林。木が成育すると島を眺める方向によって多様な景色に見えることから 多景島と呼ばれるとのこと。1655年(明暦元年)に長浜・妙法寺僧慈雲院 日請上人が 島内に日蓮宗見塔寺を開寺。島内全域が見塔寺の敷地になっているとのこと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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