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JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.07.11
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カテゴリ:海外旅行

偽満州国皇宮の配置案内図。
①同徳殿 ②中和門 ③緝煕楼 ④勤民楼 ⑤宮内府 ⑥興運門 の順番に巡ったのであった。



偽満州国皇宮(ぎまんしゅうこくこうぐう)は満洲国の首都新京
(現在の中華人民共和国吉林省長春市)に築かれた満州国皇帝の宮殿。
第二次世界大戦末期に対日参戦し満洲国に侵攻した赤軍(ソビエト連邦軍)が新京を
占領していた混乱期に宮殿施設の多くが著しく荒廃したが、その後中華人民共和国政府が
宮殿の一部を復元し、偽満洲国における日本軍の占領政策の歴史を展示するという趣旨の
博物館「偽満皇宮博物院」として公開されている。
2013年に全国重点文物保護単位に指定されたのであった。

道徳殿の配置案内図。



偽満州国皇宮内・道徳殿を最初に巡った。
一階の一番奥にあったのが『日本間・和室』
日満の関係を表すために日本式の部屋を作っのだとた。
溥儀は関東軍の高級武官・吉岡安直他と会見し日本料理をともにしたのだと。
主に接待用に使われた日本間であったと。



道徳殿の1階中央廊下。



赤い絨毯が。



『ビリヤード室(台球間)』。
ビリヤード好きな溥儀が宮廷の学生とビリヤードをやって時間をつぶした。
学生たちはわざと負けを認め溥儀の機嫌を取ったと。



『ピアノ室(钢琴间)』。



溥儀が弾いていたピアノ。



「溥儀は北京故宮にいたとき、もうピアノ曲が弾けるようになった。道徳殿が落成した後、
わざわざピアノ室を設置した。溥儀はたまにここでピアノ曲を弾いて傀儡皇帝として
おこっても言えざる憂鬱と不満を当たり散らしていた。」



『中国間』



部屋の中すべてが中国伝統の家具。溥儀はここで休憩をし、皇族や清朝旧人と会見したと。



様々なシャンデリアが。



『便見室』



溥儀が定期的に日本関東軍と会見し、偽満州国の様子を話していたと。



溥儀の写真。



『同徳殿 映画ホール』



同徳殿も政治色・関東軍の匂いのする建物である。
ここは映画「The Last Emperor」の舞踏シーンなどで使われたホール。
甘粕元大尉役で坂本龍一が出演しているのだ。



溥儀がときどき家族と日本の侵略戦争を美化した映画をみたのだと。



映画ホールの天井のシャンデリアと壁の照明。



映画が上映されるようであったが、残念ながら現地ガイドから次の場所に行くと。



『叩拝間』



参拝室とも言われて、溥儀が執務し日偽官吏を召見し来賓と会見し朝賀を受けた場所だが
正式には使用されなかった。重要な祝日の時、溥儀がここで家族、「皇族」たち、及び
身近な人のお礼を受けたところである。



『広間』
溥儀が祝日や誕生日に官使から祝福を受けた場所。
映画ラストエンペラーにも使われたと。



『道徳殿保護修繕紀實開幕式』の垂れ幕。
「同徳殿」が竣工した1938年(康徳5年)の文字と保護修繕事業が2002~2017に渡って
行われたのであろう。



広間は日本語で、すなわちホールの意味である。溥儀は祝日と誕生日の時は日満と偽満の
官吏から朝賀を受ける場所としてのみ利用した。太平洋戦争勃発後、溥儀は日本と偽満州政府に
よって行われた金属献納運動を支持することを表すために、金属製の宮燈四つ、献納して日本の
引き起こした侵略戦争を支援した。



『広間』の天井。
純金が用いられ、1つ1トンにも及ぶ豪華なシャンデリアが4つ。



ユニークな形状の照明灯。



最後に『道徳殿』の案内表示板。



『西厢房』であろうか?



『緝熙楼』横。



『緝熙楼』案内。



『中和門』。



『中和門』広場。



『日本憲兵室』
偽満州国皇帝の安全保護の組織。常時3~5名の日本人憲兵が居住。
しかし、本当の目的は、溥儀の行動を監視し、日本関東軍に報告するための組織だったと。



次に訪ねたのが『緝熙楼』。



名称の意味は「時々刻々清王朝の回復を忘れない」。
溥儀や(皇后)婉容・(妃)譚玉齢が住んでいたと。



安全の為に一度に50人以上の入場はご遠慮くださいと。



『緝熙楼』の広場前にあったのが『勿忘”九.一八” 江沢民』。九.一八忘れること勿れ。
9.18とは日本で言う満州事変のこと。
抗日愛国教育を推進した江沢民の署名入りであった。
何故か、現地添乗員の説明はなかったのであった・・・・。



                              ・・・​もどる​・・・


                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2021.08.22 18:28:27
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