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JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.01.23
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カテゴリ:JINさんの農園

金沢白鳥路 ホテル山楽


東京タワーを後にして、東京タワー通りを東に進む。右手にあったのが
芝公園 19号地(もみじ谷エリア)」。
東京都港区芝公園4丁目3−25。



芝公園というと都心にある広大な公園を思い浮かべる人が多いかも知れませんが、実際は
増上寺・東京プリンスホテルを囲む道路沿いに点在する飛び地の公園なのです。



徳川将軍家の菩提寺である増上寺の境内は広大で江戸時代は庶民にとっての憩いの
場でした、1873年(明治6)に東京で最初の公園のひとつとして指定され、境内を取り込む
形で公園化を計り広大な敷地を1~25号地に区画割したのだ と。



芝公園 19号地(もみじ谷エリア)」の紅葉を楽しむことに。
昭和59年、大小の自然石を組み合わせた人工の渓流「もみじ谷」がつくられた。
せせらぎの奥には「もみじの滝」もあった。その名のとおり、この谷の一帯にはモミジが
植えられていて、11月末ごろには、一面赤く染まった紅葉でいっぱいになるとのこと。



もみじ谷エリア」の紅葉。



蛇塚」の石仏・地蔵尊群。
この蛇塚はTV番組で紹介され、都内屈指のパワースポットとして一躍有名になったようですが、
なんでも蛇が夢枕に現れた女性が以来、仕事運と金運に恵まれ、蛇を当地に祀ったのが始まりの
ようです。
以来、当地は蛇神信仰(龍神信仰)の場として知られるようになっているとのこと。



ズームして。



地蔵尊が祀られている先、一番奥の地蔵尊のところに蛇の像が置かれていた。
ここに日本酒と卵を備えると金運を授かれる、と言われているのだ と。
秋田県出身で郷土料理店を都内で営み始めた女将が、この祠を拝んだところ蛇と遭遇、
その後もビルを建て替えるごとに蛇の抜け殻や蛇に遭遇し、仕事も順調に進んだ、
というエピソードがきっかけとなっている。蛇の夢を見たことが始まり、という説もある。
金運アップ、仕事運、出世運アップなどのご利益がある。



奉納された生卵の写真をネットから。



この周辺は紅葉のプロローグに。









広場にあった「時計塔」。



江戸幕府400年・芝公園開園130年記念
複眼的報道の塔
時代を見すえ悠久の時を刻むソーラー電波時計
平成16年10月
寄贈 社団法人 日本専門新聞協会」。



一筋の滝・​​もみじの滝​👈リンク。
紅葉滝は、かつて滝が流れていた地形を利用し、2段に落ちる滝、滝壺、そこから地形に
なじんで弁天池まで走る渓流、その途中2箇所には土橋をかけ、水の景を包み込むように
自然木が配されるなど、まさに都心のなかに深山渓谷の趣ある逍遥空間を創出させている。
令和2年に修復工事が完了し、景観の復元等を行った。



もみじの滝」案内板。



もみじの滝・Momiji-no-taki(Maple Waterfall)
もみじの滝は、日本人初のランドスケ-プデザイナー長岡安平の設計により1905年(明治38年)に
築造されました。
深山幽谷の趣が残る崖線を利用した滝が設けられており、自然の地形を生かした設計を好んだ
安平の設計思想が現れています。
幾度かの改修を経た今も当時の面影を感じさせる景観を楽しむことができます。」



「「芝公園内瀑布設計図」1905年(明治38年)~1906年(明治39年)設計」



竣工当時のもみじの滝。



黄葉もゆたかな「芝公園 19号地(もみじ谷エリア)」。



もみじ谷のモミジ
もみじ谷には、多種多様なモミジが植えられており、12月頃に赤や黄色に色づき、あたり一面、
美しい景観を楽しむことができます。東京タワーが建つ場所には、名前の由来となった
「紅葉山」があったといわれています。」。



◇もみじ谷で見られるモミジの仲間 Trees of the Maple Family Seen in Momiji-dani
モミジの仲間は、いずれもムクロジ科カエデ属の落葉樹です。掲載した葉の大きさは実物の
1.5~2倍です。

イロハモミジ Smooth Japanese maple
 葉の切れこみを「いろは・・・」と数えたことが名の由来で、5~7つに切れこむ。
 紅葉は赤が
多いが、オレンジや黄色もある。
オオモミジ  Japanese maple
 イロハモミジより葉が大きく、切れこみは7~9つで、ふちのギザギザは小さい。
 紅葉は、
黄、オレンジなどさまざま。
ノムラモミジ Nomura maple
 
オオモミジの品種で、若葉(写真)の時から葉が赤紫色で目立つ。
 名は「濃紫」が由来。紅葉は濃い赤色。
アオシダレ  Aoshidare maple
 
オオモミジの品種で、葉はつけ根まで完全に切れこんだ複雑な形。
 枝はたれ下がる。紅葉はふつう赤色。
ウリカエデ  Hawthorn-leaf maple
 ウリのような緑色の幹が名の由来。浅く3つにさける薬や、ほとんどさけない葉がある。
 紅葉は黄~赤色。
イタヤカエデ Painted maple
 
葉は5~7つに切れこみ、切れこみの深さはさまざま、ほかのカエデとちがい、
 葉のふちにギザギザがないので見
分けられる。紅葉は黄色。
カジカエデ  Horned maple
 
カナダの葉(サトウカエデ/Sugar maple)に似た大きな葉が特徴。
 名はカジノキの葉に似るため。紅葉は黄色やオレンジ色。
メグスリノキ Nikko maple
 山地に生えるカエデで、樹皮をせんじた汁を目の薬に使うことが名の由来。
 葉は3枚セットの形で毛が多い。紅葉はサーモンピンク〜赤色。
ハナノキ   Japanese red maple
 
愛知県周辺に分布するカエデで、春に咲く花の赤いおしべが目立つことから
 この名がある。葉は薄く3つに切れこみ、裏は白い。紅葉は黄色。



真っ黄色の「ツワブキ」の花
ツワブキ(石蕗・艶蕗・橐吾、学名: Farfugium japonicum)は、キク科ツワブキ属に属する
常緑多年草である。海岸近くの岩場などに生え、初冬に黄色い花を咲かせる。
昔から民間薬や食用野草として知られ、若い葉柄が食べられる。観賞用に庭園に植えられる
こともある とウィキペディアより。



「芝公園 19号地(もみじ谷エリア)」を後にして、横の坂道に出て東京タワーを振り返る。



右手の路地の右側にあったのが「とうふ屋 うかい」。



「​芝 とうふ屋 うかい​」👈リンク。



これぞ秋の和の風景。



赤の大番傘が緋毛氈の縁台に。
座ってみたかったが・・・。



「タイムスリップしたような錯覚に陥るこの異空間でいただけるのは、こだわりのとうふ会席。
厳選された高級品種の大豆と八王子・大和田の名水、伊豆大島のにがりで作られた滑らかな
とうふ。これを、とろりと甘く濃厚な豆乳出汁でいただく名物「豆水とうふ」は、旨味を極めた
ご馳走。また、炭火でカリッと炙り特製みそを塗った自家製の油揚げにネギをたっぷり乗せて
いただく「あげ田楽」は、一度食べたら虜になる美味です。これに季節の素材を盛り込んだ
コース料理が用意されています。」とネットから。



この場所から東京タワーを見上げて。



そして「都道301号線・白山祝田田町線」の「東京タワー下」交差点から。



そして横断歩道を渡り、「芝公園17号地」に入る。
東京都港区芝公園4丁目6−8。
正面にあったのが「弁天池」。



紅蓮白蓮の弁天池
中島の弁天社

明治6年(1873)の太政官布達第16号により芝公園になる以前より、増上寺の山内丘陵の西後方、
境内裏鬼門にあたる位置に弁天池という広大な蓮池があり、夏には紅蓮白蓮が混ざり合う、
清香馥郁として奥深く静かな景勝地でした。
池中の中島には増上寺三十世霊玄上人の時に弁財天が勧進され、弁天堂ができました。弁財天は
一尺余りの腰かけ像で、9世紀に智証大師によって作られたものが源頼朝、北条家に篤く
信仰され、その後徳川家康が増上寺に移したと伝えられています。 
また、島には稲荷妙見菩薩も並んで祀られ、現譽公記に「丸山の麓に池あり、二月の頃は近郷の
百姓もみを浸して番をなす故に、池の中に少しの島を築き、稲荷の祠をかまへり」とあります。
明治維新までは両方の社がありましたが、現在では隣の宝珠院内に祀られ、現在、弁財天は
港七福神の一つとして親しまれています。
弁天池の名は、古くは 「さよ」 という女が身を投じた
故に呼ばれた「さよが池」、また「ゆりが淵」などとも言ったと伝えられています。また、 池中に
架かる石橋を接蓮橋、又は芙蓉橋といい、これも霊玄上人の命名したものです。
                      芝公園サービスセンター」



弁財天付近(『新撰東京名所図会』明治30年)。



移動して弁天池周辺の紅葉を見る。



小さな滝があった。



ズームして。



「祝田通り」に出て東京タワーを振り返る。



再び「芝公園17号地」に入り「体力測定健康歩道」を歩く。



見事な銀杏の黄葉。



そして、都道319号線・環状3号線に出て現在地はココ。



左手にあったのが5つ星ホテル「ザ・プリンス パークタワー東京」の南エントランス。



ザ・プリンス パークタワー東京
東京タワーと並ぶようにそびえたつ地上33階建て、「ザ・プリンス パークタワー東京」。
芝公園の緑に囲まれた都心とは思えないほどの静けさと広い空。
ここは都会に残されたオアシスのような場所。
世界各国、日本各地から訪れる多くのお客さまをもてなし、磨きあげ続けてきた
プリンスホテルのフラッグシップブランドホテル」とネットから。



風情のある橋を渡って「芝公園1号地」に入る。
東京都港区芝公園4丁目8−12。



現在地はココ。
「芝公園1号地」には、4世紀後半に築造されたと考えられる芝丸山古墳大野伴睦句碑
そして伊能忠敬記念碑等があった。



「芝公園1号地」を歩く。



丸山貝塚
丸山古墳は明治時代から知られていましたが、長い間、正式な調査は行われず、貝塚の範囲や
形成時期、貝塚を構成する貝種などはわかっていませんでした。
平成八(一九九六)年、公園内で行われた工事の際に良好な貝層が発見されたため、翌年、
範囲等の確認調査が行われました。その結果、丸山古墳が築造された台地の裾の緩やかな
傾斜地に、マガキを主体とする貝塚が形成されていたことが明らかになりました。
土器などの遺物が少ないことが、この貝塚の特徴でもあリますが、わずかに出土した土器片から、
貝塚の形成時期は縄文時代中期末から後期である可能性が高いと考えられます。 
 昭和四十八年三月(令和二年一月建替) 港区教育委員会」



「丸山古墳」の丘を上って行った。




                                 ・・・​もどる​・・・




                 ・・・​つづく​・・・







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Last updated  2024.01.23 07:11:06
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