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JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.06.04
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カテゴリ:JINさんの農園
次に訪ねたのが「東林寺」の隣りにあった「専福寺」。
1504年僧久悦が創建。俳人の小林一茶が恋人の「寿」の菩提を弔うために、何度かここを訪れて
いると。ちなみに恋人の「寿」のお墓は、関東大震災により山崩れで見つからなくなった と。
横須賀市東浦賀2丁目10−6。



永昌山 専福寺」掲示板。



石段下にあった「一葉観音(いちようかんのん)」。



道元禅師が仏法を求め中国に渡られ、修行を終え、帰路の船旅での出来事です。大変な嵐に
遭遇され、危うく命を落すところでしたが、一心に観音経を念誦されると、蓮華の花びらに
乗った観音菩薩が現れ、風雨が静まり助けられた。順風満帆な旅を約束し、交通の安全さらには
水難から身を守ってくださる観音様として今も深く信仰されていると伝えられています と。



お顔をズームして。



龍の吐水口(とすいこう)からは清水が。



本殿に向かって石段を上って行った。



石碑が並ぶ。



寺号標石「浄土宗 専福寺」



 
「呑龍上人宝前」碑
呑龍上人といえば、「太田(群馬県)の呑龍さん」の名で親しまれ、病弱な子供の立派な成長を
願うお参りが絶えなかったといわれます。しかし、専福寺とのつながりはよくわかっていません。
「宝前」とは、 神仏をまつった所の前を尊んでいう語 と。



石段を上った場所にも石仏が2体。



地蔵堂」。



地蔵尊」と。



お地蔵様は2体。



こちらの堂は?



子育地蔵尊。



「子育地蔵尊??」



「専福寺」の「本堂」。
永昌山戒寿院専福寺・浄土宗鎮西派。



扁額「専福寺」。



専福寺
永正元年(一五〇四)僧久悦が創建の浄土宗のお寺です。本寺の阿弥陀三尊像は高村光太郎の祖で
江戸時代の仏師・高村東雲の作です。
文化三年(一八〇六)ごろ俳人小林一茶が初恋の人の菩提を弔うために何度か訪れたと
いわれます。
墓地には東叶神社の芭蕉碑を建立した俳人福井貞斎とその娘・福の墓があり、浦賀の俳人達には
ゆかりの深いお寺です。
本堂の脇には浦賀町長を務めた廻船屋川津屋太田又四郎や浦賀畸人伝にその名をとどめる桐ヶ谷
善兵衛等の墓もあります。
             浦賀行政センター協働事業・浦賀探訪くらぶ掲示より」



阿弥陀三尊(高村東雲作)」。



動物供養塔」。



洗心念佛」と台座に刻まれた石仏。



石仏に近づいて。



水かけ観音」。



水かけ観音さま
観音さまに水を流して浄めると病も心の汚れも流されて守られ清く美しい姿になります
                             住職」


一茶の句碑」。
一茶の初恋の人の墓地があって、一茶は少なくとも1回、文化3年(1806、一茶44才)
6月に墓参りに専福寺を訪ねています。なお、市内佐島にも同名のお寺があります と。
遠き想い出のひと
寿女の碑
夕立の 祈らぬ里に かゝるなり 一茶
六月一日金谷から船に乗り浦賀に渡りその人の祥月命日の六月ニ日に墓参するためだ
  一日晴 浦賀ニ渡ル 白毛黒クナル薬クルミヲスリツブシテ
      涼風も けふ一日の 御不二哉
  二日晴 夜雨 夕立の 祈らぬ里に かかるなり
  三日晴 東浦賀州崎町専福寺ヘ参ル
       香誉夏月明寿信女 天明二[年]六月二日没
           文化三年一茶旅日記より」



「小林一茶の初恋の人"寿(ひさ)”のお墓は山際にあったと言われていますが・・・
一茶の合掌する姿が目に浮かんでまいります。
              住職」



無縁塚」。
多くの石仏が並んでいた。



裏山の擁壁の下に墓地が拡がっていた。



永代供養塔」。
「聖観音立像」か?



正面から。



ズームして。



台座には「永遠の郷」と。



永代供養塔」と。



本堂の脇には、浦賀町時代に町長となった回船問屋川津屋の太田又四郎の墓碑があった。



「寺務所」。



「寺務所」の玄関。



見事な彫刻。



再び境内入口を見る。



大きな石碑が二基。



陸軍工兵一等兵 勲八等功七級 二木本松蔵碑」。



橋本䞾之碑



石仏(左は延宝5年(1677年)銘、右は元文2年(1737年)銘)。




                                 ・・・​もどる​・・・




                   ・・・​つづく​・・・














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Last updated  2024.06.11 16:00:20
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