カテゴリ:事件・裁判から法制度を考える
私も法科大学院に行くことになっているので、最近は意識的に判決文を読むようにしている。
相当慣れている部類の私でも長くて面倒くさいと感じるが、まあなかなか味はあるものだ。 そんな中から一つ。 6日、最高裁でこんな裁判例が出た。(判決文はこちら) 「父親が別居中・離婚調停中の妻の元から子供を連れ去ったら未成年者略取罪(刑法224条)が成立する」 略取とは聴き慣れない言葉だと思われるが、早い話が「力で連れ去る」こと。ちなみに言葉巧みに連れて行くのは「誘拐」。略取と誘拐をあわせて「拐取」などともいう。 司法試験でもあまり細かい区別が聞かれる訳ではないので私自身正直はっきりと区別がついていないが、まあ主論点ではないので勘弁してくだされ。 子供がいる場合、結婚している間は父親と母親が共同で親権を行使する(民法818条)。父と母の意見が割れた場合には家庭裁判所で調停と言うような形になるが、子どもをどこに住まわせるかなどと言うことを含め、親が2人いる場合、両親が対等の立場で決定すべき事項とされる。 今回の事件では父親自身は別に親権を制限されていたわけでもないらしく、ただ単に別居して子供が連れて行かれたために、こうした行動に及んだらしい。 おそらく家族の情愛から出たものであろうし、だからこそ裁判官も有罪としつつ執行猶予はつけたのだろう。 この父親の行動について、有罪:無罪で最高裁の裁判官の意見は4:1に割れた。 どの点で割れたかと言えば、家庭裁判所の役割と言う視点からだ。なぜ誘拐事件なのに家庭裁判所が出てくるんだか分からない人もいるだろうけども、家族を巡る法律の基本理念が大きく現れていて興味深い。 滝井繁男裁判官は、この判断に反対した。私が要約してみるとざっとこうなる。 「この事件は勝手な引取りであり、それが必要だったわけでもないが、親の情愛の発露の行為であって特別非難される行動ともいえない。彼の行動にはよくない要素もあったが、社会的妥当性は子供の利益の視点から長い目で見るべきであるから、一つの行為だけを取り上げて刑法が立ち入ることは慎重になるべきである。 平成5年には、別居中夫婦の間の監護紛争は家庭裁判所だけがすべきものであって、他の機関、特に自分たちのような刑事司法機関の介入は避けるべきだという意見も出ている。子供を奪われた親権者の告訴で刑法が介入すれば、家庭裁判所を使わず刑事裁判で親権者を排除するという方法が使われる可能性がある。これでは家庭問題に詳しい専門家の家庭裁判所による判断の機会が奪われてしまう。 そういう視点からすると、家庭裁判所の手続によらず実力で引き取るのは許されるべきではないが、刑法まで使って処分するものではないし、子の福祉の観点から見る家庭裁判所の判断に委ねるべきだ。 未成年者略取罪は、略取された者を本質的に保護し、それに付随して監護する人の監護する権限を保護するものである。今回の事件は略取誘拐された人間を特別に侵害しているというわけではなく、社会的相当行為である以上、無罪である。」 しかし、多数意見に属する今井功裁判官がこれに噛み付いた。これも私なりに要約するとこうなる。 「家庭裁判所は,専門の裁判所であり,設備・手続も整備されている。家庭内の法的紛争について,話合いによる解決ができないときは,家庭裁判所において解決することが期待されている。 それなのに、別居中の夫婦の一方が,相手方の監護の下にある子を勝手に連れ去ることは,たとえそれが子に対する親の情愛から出た行為であるとしても,家庭内の法的紛争を家庭裁判所で解決するのではなく,実力を行使して解決しようとするものであって,家庭裁判所による解決を困難にする。 本件のような行為が刑事法上許されるとすると,子の監護について,話合いや家庭裁判所の関与なしで,実力行使で子を引き取る風潮を助長するおそれがある。 子の福祉という観点から見ても,一方の親権者の下で平穏に生活している子を実力行使で引き取ることは,子の生活環境を急激に変化させるものであって,これが,子の身体や精神に与える悪影響を軽視できない。 私は,家庭内の法的紛争の解決における家庭裁判所の役割を重視するが,だからこそ別居中の夫婦が他方の監護の下にある子を強制的に連れ去り自分の手元に置くという行為については,たとえそれが親子の情愛から出た行為であるとしても,原則社会的に相当とは言えず、有罪である。」 かなり要約、場合によってはばっさりとカットしたところもあるがこれでも難しいかもしれない。 「家庭の内部の紛争を解決する家庭裁判所の役割を重視したい」 と言う基本理念は同じである。 その中で、 「家庭裁判所がすべきことを実力行使で行ったのだから違法な行動だ」 というのが多数意見であり、 「家庭裁判所が解決すべきこと、自分たちのような刑事裁判が立ち入るのはよほどの場合にすべきで今回はそれに当たらない」 というのが少数意見である。 同じ点について全く違う方向から検討してのこうした結論の分かれ。どちらを支持すべきかは難しいところでもある。個人的には今井裁判官ほか多数意見の判断に乗るが、滝井裁判官もさすが最高裁判事、しっかりした論理のつながりができているように思う。 家族を巡る法律は、これまで縁がなくここで触れることはほとんどなかった。実を言えば司法試験でも突っ込んで問われることはなかなかない世界である。 財産を扱う法律と異なり、家族を扱う法律(親子・夫婦・扶養など)は単に法律の規定を解釈するだけでは難しい。いろいろな要素を考慮する必要があるし、場合によっては悪が善に勝つようなことも認めなければならない。そこに家庭裁判所と言う専門の裁判所が扱う要請が出てきている。 後日また家族法について、ある一つの事例を扱ってみようと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年12月20日 22時42分09秒
コメント(0) | コメントを書く
[事件・裁判から法制度を考える] カテゴリの最新記事
|
|