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碁法の谷の庵にて

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2007年04月20日
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 山口母子殺人事件の弁護人で、正当な理由のない公判への不出頭を理由に遺族の本村洋氏に懲戒請求をされていた安田好弘・足立修一両弁護士のうち広島弁護士会でなされていた足立弁護士に関する判断は、不処分ということになったという。安田弁護士の方は、第二東京弁護士会で判断されるようであるが、結果はまだ伝わっていない。


 はっきりいって、広島弁護士会の判断は基本的には当然の決断であるものと思う。

 弁護士の仕事は第一義的には「被告人の弁護」であって、それを通じての社会正義の実現が求められているのである。遺族に配慮したので弁護が出来ませんなどというのでは、弁護の自殺以外の何者でもない。
 もちろん、欠席を無意味になす事が許されないのはいうまでもない。裁判の迅速は公益的要請である。
 だが、安田弁護士らはあちこちで、今回の審理は地裁・高裁と、弁護人服務法曹三者が手抜きでやってきた、そのために準備が更に必要になったとズバッと批判している。最高裁判所がなんと言おうとも、被告人と直接会っているわけでもなく、もっとも弁護の必要性を「理解しうる」立場にあるのは弁護人である。最高裁が正当な理由がないと言い放ったのも、その職権を越えて口がすべった感じがする(ちなみに、安田弁護士がいろいろと主張を展開したのは欠席事件の後、最高裁弁論の直前)ほどだ。
 ましてや、弁護士会が最高裁の言い分にべったり引っ付く理由などない。弁護士を懲戒する最終権限が弁護士会の自治組織である弁護士会や日弁連にあるのは、在野法曹としての弁護士の独立を守るためである。
 そうである限り、審理の途中で資料不十分でさえある最高裁の判断に依存しない、独自の判断が妥当であるといえよう。


 そして、両弁護士を懲戒しようというのなら安田弁護士らがあちこちでしている弁明(例えば「年報死刑廃止」2006年の特集とか)が単に真実でないというだけでなく、不出頭を正当化すること自体を目的にする、悪意ある真っ赤な嘘であるということでなければならないだろう。それなら、両弁護士を厳しく懲戒する事はむしろ当然といえる。
 逆に、そうでもなければ懲戒は不相当であるといわざるを得まい。被告人に有利な訴訟活動を目指す、しかも有効な弁護を受けるという権利に奉仕する弁護人としては、どうしても間に合わないということであれば不出廷ということもケースによって考えざるを得ない(ただし、それを考えざるを得ないケースはよほど例外的であるのは間違いないが)と思われるし、そうであったという弁護団からの主張はなされている。
 ただ裁判のベルトコンベアを動かすためだけのおざなりな弁論を出して結審させるということは、もっともやってはいけない事であろう。

 最高裁が日程をどう決めた、裁判の迅速だなんてことはそういった裁判のルールの前には後退すべき要請でしかない。最高裁も、もしかしたらそうなのかも・・・と思ったから、欠席事件の後次回の弁論期日を指定したのではないかという説もある。


 本村氏の懲戒請求は、遺族感情に基づくものではあろうが、それでもよほどのことがない限りは勇み足であるといわざるを得ない。
 本村氏は準備期間が必要であるという両弁護士側の言い分に対し、「弁護人を交代し続ければ裁判をいつまでも出来ない」というようなことを主張しているが、弁護人が体を壊したとか、よほどのことがない限り、弁護人を交代「し続ける」などという所業は、そもそも訴訟上の権利濫用であって、例え一回の弁護人交代を認めたところで、そこまで認められるわけはない。また、弁護士交代がたった1回の今回が「代え続ける」などという行為に該当しないのは明らかであるといえる。
 公判の延期をもくろんだというのはそうかもしれないが、延期をもくろむのが必ずしもいけないことといえるのかどうか、というのが今回の問題なのだ。審理の迅速は大切であるが、それは手抜き裁判を許容するようなものではありえない。
 本村氏は、被害者遺族として独自の刑法哲学を持っているし、それは傾聴に値するのだが、その哲学の使用局面に入るための手続については、やはり認識が十分ではないというのが偽らざる所感である。
 また、「法廷で死刑廃止運動をするな」と安田弁護士らを糾弾したために、二人は法廷で死刑廃止運動をしていると、弁論で死刑は廃止すべきなどといったという情報は全くないにもかかわらず考えられ、袋叩きにあってしまった。もともと安田弁護士の「事実」に徹底的にこだわる弁護姿勢・能力については、検察サイドでも支持者がいると聞いている。
 本村氏の発言も、批判的に見ないととんでもない事になりうる。


 ほかにも、「弁護士会は犯罪被害者の敵だ!!」と騒いでいる人もいるが、そもそも犯罪被害者が犯罪者の処罰、しかもより重い処罰を求める立場であるのが普通である(少なくとも本村氏はそうである)以上、弁護士との衝突は宿命というべきもの。
 それをダメだというのはそもそも弁護活動それ自体を否定する事になる。立派に憲法37条違反と言ってもよいし、被害者が守られる権利はあるといっても良いとおもうが、弁護活動を踏み潰してまで守られる権利というのは、日本では認められない。
 彼らが被害者の敵だといいたいのなら、単に被害者の神経を逆撫でしたという点をわめくのではなく、弁護人の本来的任務を理解した上で、そこから両弁護士が外れているというのを論証した上で、批判を強めるために使うべきだろう。



 弁護士が守るべき基本的人権は多数者がその威勢をもってしても絶対に不可侵である領域。無論弁護を受ける権利は凶悪な被告人にもあるといわざるを得ない。適正な手続を受ける権利は判決云々から独立して保護に値するというのはこの話を参照してほしいが、そうでなくとも、遺族が口を極めて罵った被告人が無罪だった、汲むべき事情があったということは戦後史を紐解いてもいくらでもある。それでもボクはやってない」を見た人なら、それは当然に理解しているだろう。痴漢と殺人は別だというようでは落第である。
 ましてや、今回は一審・二審で無期懲役判決がいったん出るような、死刑と無期の境界という意味でも微妙な事案。より一層慎重な弁護が求められるのは当然の理でしかない。


 さて、差戻し審理の開始は5月下旬。
 整理手続とかを使って一気にやるという話を耳にしている。最高裁でした主張を高裁でしていれば・・・という説も一部にはあったが、今の今まで出さなかった主張をいきなり出すのは認められないのではないか?
 また、新たな弁護材料として精神鑑定なども弁護団は求めるようだ。まあ、最高裁でかなり封じられているので今まで以上に苦しい弁護をするしかあるまい。

 被告人にどのような裁きが妥当かは、私には分からない。最高裁が語ったのは、あくまで最高裁に挙がってきた証拠では死刑だというということだけ。それ以上の証拠関係を確認していない私が、想像でこれが妥当だというのは関係者への侮辱行為だろう。
 だが、少なくともいかなる凶悪犯でも、いかに遺族が活動しても弁護人がついてきっちり弁護を受ける権利は保障される。それがあればこそ、先日鹿児島の冤罪事件をはじめ、幾多の冤罪事件が無罪判決で最悪の事態は免れられた。場合によっては、徹底抗戦ということも考えざるを得ないし、被害者の神経を逆なでする事も弁護の遂行に当たってありうる。
 ・・・などといっても、そんな理由付けを理解し、あるいは支持しない人は日本中に山ほど出てこよう。それはもう仕方ない。心の奥底に眠る不満感は、実務の片手間の啓蒙活動でどうにかなるものではない。気長にお付き合いするしかないのである。

 だが、それでも弁護に関する日本の法のタテマエが、例え被告人が同情の余地のない人間であれ、遺族が涙を流して訴える事件であれ、厳然たる不動如山であることを今回の事件を通して日本の法曹界はがっちり知らしめなければなるまい。




 最後にトピックス。去年の上告審差戻し判決は今年4月に出版されたジュリスト別冊「平成18年度重要判例解説」に掲載され、評釈が書かれている。書いているのは有名な死刑廃止論者の平川宗信教授で、死刑廃止論を演説している訳ではないものの、正直後ろ側にある廃止論に強く影響されているような気がするし、正直個人的に支持はしていないのだが、この事件について真剣に考える気のある人には、批判するにせよ支持するにせよ、読んで無駄にはならないはずである。
 法律家や司法試験受験生向けではあるが、この問題をまじめに考える気があるなら、わずか2ページの評釈は気合で読みほぐしてほしいもの。読んで分からない用語を聞くのなら答えます。





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最終更新日  2007年04月20日 12時56分26秒
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