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碁法の谷の庵にて

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2007年07月25日
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 最初は囲碁マニアとしての私の論考である。そこから最後に発展させる。

 例えば、囲碁で自分が劣勢になったと判断した場合はどうするか。
 大きく分ければ、その時に取る態度は3パターンある。(なお、盤外の行動や反則行為は考慮に入れないものとしておく)

一、もう逆転できないと見て投了する。(投了)
二、それでも普通に打ち続けて、相手がミスをするのを待つ。(我慢)
三、多少は無理筋であるのを承知で、一か八かの勝負に出る。(突撃)

 投了はある意味では最も簡単である。しかし、そもそも勝つために碁を打っているのに、簡単に勝ちはないと投げることはできない。だからこれはあくまでも最後の手段となることが多い。

 我慢は、ある程度局面が進んでいない場合、あるいは差が小さい場合には有効である。少なくともそれをやっている間は簡単には負けない。相手も人間だからミスをすることは多い。じっと我慢していればいつか日は昇る可能性はある。
 突撃は、最後の手段である。じっと我慢していてはもう間に合わない(相手にミスが出そうもない、あるいは多少はミスが出たとしても逆転に至らない)、という場合。その場合には多少無理でも突撃をかけて成功か爆死か・・・という勝負に出ることもある。


 二と三の選択肢は、ある意味では難しく、高度な技術的判断を要求される。自分がどれくらい劣勢なのか。自分に用意できる「突撃」の成算はどんなものか。逆転までに残された時間はどれくらいなのか。相手の力量と自分の力量はどんなものか。その辺を見極めることによって、二と三は決まる。はっきりいって、個性の問題もあるところであろう。
 ただ、強い人ほど基本的には二の路線を使うように思われる。強い人の場合劣勢になってもそんなに差がついていなかったり、およそ通用しないことは控えることが一つの原因だろうが、突撃をしない度胸というのも、存在するかもしれない。


 この考え方は、囲碁に限るものではあるまい。
 碁や将棋のように投了が制度としては存在しない世界もある。
 ラグビーも、狙いやすいところでペナルティを得れば、前半ならまずはゴールを狙う。だが、ノーサイド直前に4点差以上ついていれば、どんなに狙いやすいところで信頼できるキッカーがいてもペナルティゴールよりも回してトライを目指す。例えゴールを入れたところで3点しかもらえない。結局ラインを戻されてしまい、それから点を入れる前にノーサイドとなるのが見え見えであるためだ。ある一定以上のレベルの世界では「惜しかった」という言葉は通用しないのである。
 サッカーのワールドカップなどでも、後半のロスタイムに負けているチームがコーナーキックを手に入れたりすると、ゴールキーパーが上がってくることがある。本来頭のいい行動ではないのであろうことはほとんどのチームでやっていないことから明らかだが、得失点差が問題になる場合はともかく、一発勝負の場合には一か八かでもそこでの1点に賭けるしかないのだ。

 ときと場合によって、最良の戦術というのは変わってくるのである。
 そして、その戦術を裏付けるに当たって極めて重要なのが形勢判断である。常に最善の方法が見えるのならば、形勢判断というのは不要だと私は思うが、必ずしもそうではない世界においては、形勢判断が必要になってくる。
 形勢判断を間違うと?優勢なのに自ら局面を紛糾させて自爆したり、劣勢なのにそのまま負けにしてしまうなんてことも出てくる。


 
 では、光市母子殺人事件の弁護ではどうだろうか。

 弁護はゲームではない!!と言われるかもしれないが、そもそも弁護人は検察の指摘を批判するのが職務である以上、そこにゲーム的な要素は避けられなくなってくる。日本は当事者が訴訟のイニシアチブを握る国だ。当事者が争点だと考えて争えば、そこが争点になってくる。(もちろん、それで裁判官を説得できるかは別の問題)おとなしく自白をして争わないなら裁判も情状中心になり、否認すれば事実認定中心に裁判は進んでいく。自白をすれば、被告人は(少なくとも否認や黙秘よりは)反省していると見なしてよい情状にしてくれるのが通例である。
 そういう意味で当事者の行為に裁判の行方が左右される。


 今回の場合、きちんと形勢判断(自白をしても最高裁判所で死刑判決が下る!)がされていれば、地裁・高裁と最初から事実認定を中心にすえて争われたはずだった。ところが、地裁はおろか、高裁までが無期懲役の判決を下してしまったため、形勢判断は完全に狂わされてしまった。
 そもそも純粋な量刑問題で最高裁が口を出すことは珍しい現象だ。
 そして、最高裁が弁論を開く→形勢判断の誤りを悟ったときには、局面はかなり進んでしまっていた。下級審の裁判官の形勢判断を信用して打っていたら、後になって間違いと分かって慄然ということになったといってもよいかもしれない。
 裁判は、ラグビーやサッカーのように時間もスコアも丸分かりとはいえない。まして、下級審の審理の段階で、担当の裁判官の心証ならまだしも最高裁判所の判断まで読むこと、それも判断が逆転することまで読むことは相当に厳しい。「著しく正義に反する」でなければ、最高裁は基本的に判断を変えないということにも注意する必要がある。


 投了する(死刑を呑む)・・・ことはできない。争う被告人がいるのに弁護を放棄しましたなんてことは許されない。囲碁の世界では投了は権利でも、裁判の世界で弁護人がそれをするのは反則である。

 今回、弁護人にとって第一に目指すべき弁護は「被告人に対する死刑の回避」である。少なくとも、死刑判決の適正さを主張することが、被告人にとって有利な弁護であることは、現行法上はありえない。
 おそらくではあるが、この事件の弁護では、被告人の反省している様や、酌むべき情状、証拠の具合によっては心神耗弱や喪失を必死になって主張するのが普通であろう。被告人の主張を握りつぶすのは許されないと一般には言われるが、弁護人としては被告人に有利な判決を目指すために、裁量があるとも言われる。少なくとも得策じゃないよくらいの説得は可能であろう。普通の方策である。
 ところが、今回の弁護側は八方ふさがりである。このままだと死刑判決だよ、という最高裁判決。しかも相手はプロの検察官。じっと我慢していれば綻びる・・・というのは通用しない。しかも、これまでの主張そのままで死刑の不当性を主張することは、ほとんど成功しそうにない。曲がりなりにも新証拠・新主張といえるものをしなければ、差戻裁判所も受け付けてくれない。さらに、もし仮に情状弁護をして、被告人が独自の立場からあの主張を始めてしまったら、今度の今度こそ全ては崩壊してしまう。

 そう考えると、なりふり構わない突撃、すなわち被告人の見るからに無理っぽい主張に乗っかって、最悪情状がもっと悪くなる危険(もちろん、無理っぽい主張に乗せる形で、情状的なものを織り交ぜようとするだろうが)を負担してでも、死刑より悪くなることはないと開き直って弁護することになる・・・


 というのがあの弁護団の思考ではないかと私は思っている。もちろん、これはあくまでも推測に過ぎない。ただ、例えこの推測が当たっていても、外に向かってはオクビにもそんなことは出せず、いやこの主張が全く正当なんだといい続けなければならないのだが。



 被告人の死刑に賛成して弁護団にも批判的な見解を持つモトケン先生が、裁判の長期化を招いたのは弁護人サイドではなく控訴審の判決にあると指摘している。去年の判決以前の段階のコメントであるので現在に至るまでこの見解が維持されているのかどうかは定かではないが、私はこの見解に賛成したい。
 最高裁が著しく正義に反するとして差し戻した点、特別新証拠などが出ているわけではないからしても、高裁の判断にそもそもの問題があったのではないか、と思われる。仮に高裁で死刑判決が下されていたならば、最高裁は判決文から見れば上告棄却で終了であろう。死刑事件ではセレモニー的に弁論を開くようにしているようだが、そんなのは全体から見ればほんの僅かな現象でしかない。死刑判決に控訴するのは弁護側のみであろうし、弁護団が最高裁に入ってからあの主張を始めたとしても、その主張が受け入れられない限り、差戻も何もない。今差戻し審でやっていることは全て通常の三審の段階で終わるはずである。(まさかして再審という可能性がないとは言わないが)

 日本の裁判は三審制と一般に言われる。場合によって二審で実質終了したりなどということもあるし、そもそも三審制は憲法上の保障でもないので三審制という表現が正しいのかどうかは個人的には疑問がある。が、一審制でない以上、こういう審級ごとの判断のブレも、ある程度は宿命的に起こってくる。そして、そういう所に、いわゆる「傍論判決」などの問題性も出てくることになる。
 
 何審制を取るかは、立法政策の問題に過ぎない。一審制だって憲法上いけないというわけではない。審級について存在する憲法上の縛りは「憲法問題の終審は最高裁」「裁判拒否=0審制はダメ」それだけである。
 もちろん、事後に裁判を検証しなおす機関が存在することは望ましいであろう。独善的な判断の修正を施すのは必要に映る。ただ、そうなってくると上と下の判断の食い違いによって厄介な現象が起こってくることもまた事実。


 今回の事件は、審級制度の持つ負の側面を浮き上がらせた側面も少なくないように思う。




※一審判決後のガッツポーズ云々はガセらしいという情報が入ったので、削除しました。関係者の皆さんに不快な思いを与えたことをお詫びいたします。





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最終更新日  2007年07月26日 21時06分16秒
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