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碁法の谷の庵にて

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2007年12月11日
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 記者会見は本村氏の方からはこれといってなされなかった模様です。
 そのせいでしょうか、動きがこれまでからすれば考えられないほど静かです。ちょうちょ結びがどうだ、魔界転生やドラえもんがどうだ、ピンポンダッシュがどうだと言って大騒ぎした人たちはどこへ行ったのでしょうか。まさかもう飽きた、と言う訳ではないと思います(というか信じたいです)が・・・。

 詳細はここから手に入れました。

 弁護側は500頁近い弁論をしっかりとくみ、それも要旨を読み上げて裁判所に渡したそうです。それすら数時間。
 安田弁護士はこの差し戻し審は実質第一審といいますが、最高裁の判決を受けた後では実質的な挙証責任(形式的な真偽不明の負担と言う意味での形式的挙証責任はなお検察が負っていますが)としては、当然厳しい展開が予想されます。検察の何倍にもなったと言う弁論は当然ではないでしょうか。


 なお、弁護側は死刑違憲論には触れていないようです。控訴審の更新意見書の要旨にもありませんでしたし、今枝弁護士がチラッと語っていたので予想はしていましたが。(もっとも、読み上げなかっただけで実際の弁論にはあるのかもしれませんが)


 ちなみに、私だと死刑違憲論には触れるのではないかと思います。もちろん、傷害致死に関して徹底検討したうえで、その後で。
 なにも違憲判決が出ることを期待しているのではなく、(もっともアメリカで残虐刑禁止に当たって違憲判決の例があるので全くの荒唐無稽でもないのですが)問題のある制度なのだから例え傷害致死の主張が認められなくても慎重に使おう、範囲を狭めて考えようという理屈につなげることであわよくば死刑の射程距離を縮め被告人から外そうという可能性を考えるためです。
 問題のある制度だから、違憲ではないにしても適用範囲などを限定的に解釈して使う、というのは普通の発想です。利息制限法1条2項の規定(払いすぎた利息は元本充当し、元本も完済したら返してもらえる)に関する解釈がその典型例です。死刑でなくとも、例えば採用されないと半ば分かっているのに公訴権濫用論を書いたりする例もあります。
 最高裁の差戻しの判旨から無理・無意味と判断したのかもしれませんが、多少あれと思ったので触れておきます。まさかと思いますが、万一死刑廃止論利用説への対抗措置だとするなら、既にまともな裁判ができなかったことになります。



 ただし、です。死刑判決に対して上告ならば憲法違反あるいは判例違反に触れないといけません(刑訴法405条)から、死刑違憲が一番手っ取り早い上告理由になります。
 「死刑が憲法13条・36条に反するものでない事は当裁判所の裁判例とするところである」という感じのことを書かれて終了でしょうが、それでもよいのではないでしょうか。どうしても上告してくれと言われれば、多くの弁護士はそういうこじつけっぽいことをやるようです。(もっとも私の師匠の裁判官はこじつけすらやらない弁護士が増えたと嘆いていましたが)

 第一次上告審では、検察は判例違反だと言ったのですが、裁判所に判例違反面して量刑不当が言いたいだけだろ、そんなの適法上告理由じゃないよと最高裁に言われているのですから、今更弁護側の行為だけを指弾するような人たちはいないと信じたいものですが・・・出そう、というのが外れて欲しい私の予想。




 事件に関して真剣に検討をなさった方はどれほどいるでしょうか。

 ろくに検討もせず、誤りと既に広く知られている事項についてそのまんまコピー&ペーストをし、本村氏の立場を思いやるべきだというようなことをいっているのにもかかわらず、最終弁論が終わった現在に至るまで、一切訂正もしない人がいます。本村氏がネットで死亡の有様などが議論されるのを快く思っていないといっているのを知っているのでしょうか。
 そんな品性しか持たないのに、私に向かって「青い」などと言い放った人もいました。青いのは事実ですから貶されること自体は耐えますが、その程度の品性さえ持たない人に言われて平気の平左でいられるほど私は人がよくありません。
 
 こういう人が私がこよなく愛する囲碁に関する有名人で、私の倍以上の年月を暮らしてきたというのですから、心底悲しく、情けないことです。
 
 何の罪もない人が二人死んだ事件を論じるに際して、とかく厳正な態度だけは忘れないようにしてきました。例えマスコミというフィルターを通した情報であろうと、態度としての厳正さは誰もが身につけられることでしょうし、そのような態度をとること自体は、社会人である限り少なくとも不可能なものではないものと考えます。
 事件は市民にとっては年に何十件と起こり、光市事件も程度が大きいだけでそのうちの一つに過ぎないかもしれません。しかし、関係者にとっては人生にたった一度、しかし大きな転換点となってしまう、その一件が全てです。

 皆さんは、自分が厳正な態度で光市事件を論じてきたと考えられるでしょうか。弁護団に対して懲戒請求をした人にせよ、最高裁判決を批判する立場の人にせよ、です。
 2年近くにわたって、この事件についてあれやこれやと述べてきました。私は死ぬまでこの事件のことは覚えておくつもりです。





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最終更新日  2007年12月11日 21時49分24秒
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