カテゴリ:その他雑考
ついに、地上波登場ですか。 ネタバレは致しませんので、ぜひ映画を見る前に読んでいただきたいな、と思います。ネタバレ込みの感想は以前書きましたので、ネタバレでもかまわないと言う方はこちらとこちらからどうぞ。 この映画は、名作と言ってよいでしょう。個人的に不満な部分があるといってしまえばそれまでですが、それを含めても現状の問題点に深く切り込んだ作品であると私は思います。 周防監督は映画のためだけ、と言うわけではないかもしれませんが、法廷傍聴などを繰り返し、痴漢冤罪の問題を深く研究してきたようです。それを生かしたと言うことだけあって、その法的考証の評価は実務家からも高いと言います。私自身、法廷で見たことのない手続がこんな感じだったのかと知ることができました。 しかし、です。どんな映画も、見る人がダメでは何の意味もありません。そして、この映画を見てそれを自分の考え方に生かそうとするのは、他の映画以上に難儀です。 実在の事件のように扱ったため、2時間刑事ドラマに近い視点がどうしても出てきてしまいます。これは周防監督のせいではないでしょう。もしかするとないものねだりかもしれません。 私にとっては象徴的な出来事がありました。 実は、私はこの映画を最初から見ようと思っていたわけではないのです。ネット上で知り合ったある人が、見て来いとせっつくから、電車代と安くない観覧料と時間を割いて、観覧してきたものです。 ところが、その後、私に見に行けとせっついた彼がしでかしていたのは、光市事件(差戻審)の弁護団バッシングでした。十分に弁護団の主張さえ理解せず、勝手に弁護団の弁護はありえないと言う心証を作った上に、それに基づいて弁護団をこれでもかと罵っていました。 つまり、彼は映画の問題意識を理解していると見せて、痴漢冤罪の最大の歯止めである刑事弁護については、これっぽっちも理解していなかったのです。映画は弁護人と被告人の間関係も描かれていますから、その一瞬だけ、痴漢冤罪に絞っていれば問題意識を持つことは簡単でした。 でも、映画を離れ、痴漢冤罪と言う局面を離れたら途端に全部忘れてしまった挙句、職務に苦悩する刑事弁護人を世のためではないかのような発言をしてのけたのです。 あの時のはらわたが煮えくり返る思いは、今でも忘れることができませんね。私自身沸点の低い性格をしてはいますが、激怒して机を叩いたことを憶えています。 しかし、これが彼だけの現象かといわれると、残念ながらそうともいえないのも確かです。 「そうだ、日本の司法は何をやっているんだ、冤罪を出すなんて問題外だ」 そんなことは小学生だって分かっているのです。そして、警察や検察をはじめとする日本の司法制度を非難して終わってしまうのでは、周防監督が入念に調査をして映画をつくった意味が減殺されてしまいます。 そして、それしか言う事がない映画に高評価を与えるとすれば日本映画は終わりでしょう。 あの映画は無駄な脚色はほとんどしていません。現実に起こりうることだけを集めて映画化しています。 そして、周防監督が批判しているのは直接的には日本の司法制度や法律家・警察ですが、間接的にはそのような司法制度を生み出す国民性にも向けられていると言うべきでしょう。 あの映画で実現されていた裁判は、まさしくネット上で特に思想傾向が保守的な人たちが主張することの多い裁判のあり方そっくり、というかそのものです。作中の俗語には、「主に」思想傾向が保守的というか右寄りな人々で、裁判制度のあり方を理解していない人々が弁護士や裁判官を罵倒するときに用いる言葉も登場します。 決して周防監督の造語ではありません。どの言葉かはできれば映画を見た方々に当てて頂きたいな、と思いますが。 ちょっとショックを与えられたらすぐに忘れるような教訓なら、持たない方がマシです。映画を見たことをよい方に持っていけるか、自己満足で終らせるかは、まさしく見る人自身にかかってくると言うことです。 なお、作中で登場した用語やその他について質問があれば受け付けます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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