カテゴリ:事件・裁判から法制度を考える
昨日、26年前の殺人行為について、遺族が民事損害賠償を求めていた裁判で、最高裁は時効の主張を退け、遺族の訴えを認めたとのこと。
かねがね時効必要説(民事も刑事も)を主張しているとは言っても、やっぱり時効については歯がみをしなければならないような件もあります。 ことに除斥期間ということになってしまえば、まさに法的には「救いようのない結末」になってしまうことも十分にありえます。 第一審判決(かつて触れた記事はこちら)は、殺害と言う不法行為については時効が動かせないとしつつ、「遺体を隠し続けたことが不法行為」として、「隠した分」の慰謝料を認めました。 これもやや技巧的な考え方であるといえ、東京地裁はその範囲ででも遺族を助けようとしたのだと思います。もっと有利にできる、と言う形で破棄されたとはいえ、東京地裁の裁判官の先生方を腐す意図は全くありません。 しかし、高裁判決はもっと踏み込みました。高裁判決が、代理人弁護士の主張を受けたのか、高裁の裁判官が自分で考えた理屈なのか分かりませんけれども、「殺害と言う不法行為についても時効は完成していない」とやったのです。以前触れた記事はこちらからどうぞ。解説などは以前からやっていますので、今更ここで解説を加えることはありません。 最高裁の判決文を見る限り、高裁は前回の記事で指摘した法解釈を使用したようで、最高裁はその判断を支持したのではないかと思います。 個人的には、理屈「だけ」をつまみとれば、それで本当にいいのかなと思わないわけではありません。理屈的にも厳しく、泥縄的処理である感はどうしても否めず、田原睦夫裁判官が補足意見で主張しているように、もっと抜本的に踏み込む方がよいのではないか、とも考えています。 ただ、それでも(たぶん)苦心に苦心して理屈を考えだし、適正妥当な解決を導いた裁判官の先生方には、心から敬意を表します。 そして、現在民法を大規模に改正する作業が進んでいます。 時効制度がなくなりはしないと思いますが、現在、硬直した時効制度をもっと柔軟に扱いうるようになる可能性が出てくるでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年04月29日 23時23分27秒
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