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碁法の谷の庵にて

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2010年11月02日
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テーマ:ニュース(99716)
こちらですね。
 なくなられた両名のご冥福をまずはお祈りいたします。
 

 ざっと事件概要を見た限りでは、死刑の選択も十分にありえる一方で、無期と判断されても特に軽いとも言いにくく、どちらに転んでもおかしくないような事件であったように思います。


 裁判員と裁判官のどちらがどれだけ賛成したかは、残念ながら分かりません。まあ評議は秘密である以上仕方ない訳ですが。

 あくまで個人的な推測と断った上で言えば、おそらく裁判員の多数派が死刑賛成に回ったということはない(死刑賛成に賛成した人物は最高でも6人中3人)と考えています。
 あまりにもむちゃくちゃな見解ばかりを裁判員が主張したのでやむを得なかったというのでない限り、裁判員の多数派の考えを裁判官全員で潰す(裁判員の多数派4以上を取られたら、裁判官が全員で反対しなければ裁判員の多数派の説は潰せない)というのは市民の司法参加という視点から(その是非は脇に置いておくとして)問題があるためであり、求刑越え判決が裁判員裁判で増えているという現象もおそらくはその辺りに対する配慮が原因であると推測しています。
 今回の件は検察も死刑求刑、私の感覚は先述したとおりで、専門家コメントもどっちに転んでも変ではないというものが多かったので、無茶苦茶なので裁判官が歯止めに走った、とはちょっと考えにくいと思います。

同様の視点から、検察が控訴するかどうかも結構微妙な点があるような気がします。(この点は裁判員制度下では前例がないので何とも言えませんが…)



 しかし、ネット世論には相変わらずうんざりですね。
 以前から司法は市民感覚を反映しない、遺族の気持ちを考えていないとか散々罵倒される様を何度か見てきました。 そうして、司法への市民参加、市民感覚の反映というのを一つのお題目にして裁判員制度ができて、公正に抽出された市民代表が裁判に関与するようになりました。

 そうして裁判員が加わって判決を下したら、やっぱり軽すぎる、裁判員には無理だった等と文句が多数噴出しています。
 先述したような私の個人的推測が信じられず、裁判官が全員で握りつぶしたのではないか、という指摘をするのならその点についてはまだ分からないではないのですが、死刑を支持しなかった裁判員に対して侮蔑的な言葉を吐いたり、中には脅迫めいたコメントをする人も。脅迫的な行為や暴く行為については、警察や検察は容赦なく摘発して刑事処分をすべきでしょうね。

 実は裁判官に社会常識がない等と文句を言っている人と今裁判員に文句を言っている(人格的非難でなくとも、裁判員に死刑判決が下せないとか言っている方も含む)人は全く別人であり、多数派ではあっても表に出てきている人は違うんだ、というのであれば筋は通るのですが、個人的にはとてもそうは感じられず、結局自分の思うような判決が出ないがためにこじつけて裁判官の社会常識がどうたらなどと文句を言い、それが裁判員裁判になったから更に裁判員にも矛先が向かっているように感じられてしまいます。 これまで裁判官が非常識だ、司法に市民感覚と言った人たちは、市民でも個別事件に触れ合う中でいわゆる「非常識な判断」をしたことをどうとらえるのでしょうか。
 裁判員の市民的な判断である、事件を見ていない人間が気安く非難を言うべきではない、と判決の結果を個人的な判断を離れて弁護してくれるのでしょうか?
 裁判官が握りつぶしたとか、裁判員にたまたま特異な人が集まっただけだと言うつもりでしょうか?
 
 ぱっと見の多数派がそうであるせいか、ついつい邪推が働いてしまいます。邪推であることを心から祈ります。
 ただし、仮に邪推であるとしてもこういった個別意見の方が司法の方にはとどいてしまうことには変わりありませんが…。

 以前海原氏がこんなことを言っていましたが、少なくともそういう結果になるであろうというところは凄く共感できるものがあります。



 ちなみに、例えば小沢一郎氏への強制起訴でも、もし仮に今後無罪判決、それも一部で指摘されているような箸にも棒にもかからないような事件でしたと認定されるようなことがもしあれば、検察審査会法が改正されて強制起訴制度が消滅、あるいは縮減(一定の犯罪については外すとか、起訴猶予のみが対象になり嫌疑不十分は外す等)する可能性だってなしとはしないでしょう。
 司法の民主化という要請に応えた結果が人権保障の吹き飛ばし=司法権が本来持つべき機能のマヒになり、さらに民主化した手続でも結果が気に入らないと言われたら、何のための民主化だと言われ、制度にメスが入るのは当たり前のことです。


 民主化の声に応えて民主的制度を導入したら入った人たちがダメだった。
 あるいはその民主性による判断が気に入らない人たちが多すぎてダメだった。
 なんて、制度の是非論以前にむなしすぎる事態だと思います。










最後に余談。

私のことが分かる人への私信(読んで何のことかわからない方には対象外ですのでご了承)になります。

私の人生はあと1カ月半ほどで大きく分かれます。
どう転ぶかは分かりません。ハッキリ言って最悪の方向へ転ぶことは覚悟しています。
ただ、正直なところどちらに転んだとしても、そんなには変わらないのではないかと思います。正直言って一時は気力すらなくしかけた(今でも気力十分とはとても言えない状態)ほどですが、最悪に転んだら転んだで仕方ないと開き直ったら少しは楽になった感じでしょうか。
私がお世話になった方々にはある意味恩知らずな発言で申し訳ありませんが、意外とさっぱりするかも、なんてことも考えています。

この場をお借りしてこれまでお世話になった方々に改めて感謝すると同時に、私のことに構わず各人の人生を謳歌していただけることを願ってやみません。





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最終更新日  2010年11月02日 07時07分28秒
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