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碁法の谷の庵にて

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2014年11月27日
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先日から、犯罪被害者の誤った告訴・証言について、2つの注目すべき事例が発生しています。
なお、以下の記述は現在報道されている事実のみを前提にしており、今後の新情報によって下記の見解は変わって来うることを予め申し添えます。


一つは、大阪で、強●罪で懲役12年になった男性が、自称被害者&目撃者の供述の誤りを理由として検察が再審を容認、足利事件同様に再審手続に入る前に釈放した、と言う件。
(ニュースはこちら

詳細は一部しか報道されていませんが、検察が実質有罪獲得を放棄して白旗を上げていること、裏付けの客観証拠も出たということですから、自称被害者&目撃者の供述の誤りというのは細部の記憶違いなどでは済まされない、非常に重大なものであったと想定されます。
この件は、自称被害者&目撃者の誤った告訴(被害者の告訴がなければ強●罪は起訴不可)や誤った証言(冤罪被害者側は捜査段階から一貫して否認していたということなので、自称被害者&目撃者は法廷で宣誓の上、誤った証言をした可能性が高い)の可能性があると言わざるを得ない状況でしょう。

もちろん、自称被害&目撃者について、両罪の成立について慎重な吟味を行う必要があるのは当然だと思います。
誤った告訴や誤った証言は何も意図的に行われる物とは限りませんし、虚偽告訴や偽証罪の成立には単に誤った告訴・誤った証言に限らず、少なくとも虚偽の申告や証言をする故意が必要です。
被害者は事件に遭ってパニックになっていることも少なくなく、結果として一部の記憶が曖昧になった結果冤罪になったり、不適切な他人からの誘導によって記憶が変容し、意図せず嘘をついてしまうということも珍しくありません。
そもそも「疑わしきは被告人の利益」である以上、「神の眼からして正しいことを言っている証言でも本人に責任のないことで疑わしいとされ無罪にされる」ことも当然あり得ます。
結果として被告人が無罪になったからと言って自称被害者を直ちに嘘つきとするものではないことに注意すべきです。

ただし、もしこの件で偽証罪や虚偽告訴罪の要件をクリアした場合には、一罰百戒の意味も含め、偽証罪や虚偽告訴罪での上限による処罰(最高懲役10年、両罪とも成立した場合は最高懲役15年)が必要な事例であると考えます。
偽証や虚偽告訴が現実になされ、結果無実の男性が3年以上の服役を余儀なくされ、しかも当該偽証が裁判上立証で非常に重要な役割を果たしたと想定される(些末な証拠の一部に過ぎない場合、検察が白旗対応を取る可能性は非常に低い)わけですから、情状面としては最悪の一語と言わざるを得ません。

今回は強●罪でしたが、強●罪に限らず、性犯罪は密室性が高く、合意の有無と言った客観的証拠の残りにくい要素で犯罪の成否が左右されることが多く、被害者証言にその立証を依拠しがちになります。
元々、被害者に対しては証言の際に遮蔽措置やビデオリンク尋問、時にはその併用さえも認める等、被害者の心情を保護するために、被害者に対するプレッシャーを軽減するのが近年の刑事司法の流れでした。
また、被害者と言う立場上、多少の証言の内容のずれ程度は仕方ないし、被害者側の逃げない、抵抗しないというような不合理と捉えられがちだった行動も合理的に説明できるのに、被害者の証言の信用性を認めず無罪とするような判決はおかしいという主張が、性犯罪被害者側の立場の方々から近時常々主張されています。そのような認定をする裁判も珍しいものではありません。
しかしながら、こうした証人となる被害者保護に向けた様々な主張は、全てその「被害者」が誠実に被害を申告していることを前提とするものです。
まさか、「私は被害者」と言いさえすれば無条件で信用し、被害者証言の不合理に見える部分は次々とカバーして、虚偽申告もスルーしろと主張している訳ではないでしょう。

偽証罪・虚偽告訴罪は証人の証言や告訴の信用性を担保する非常に重要な犯罪です。
ただでさえ「故意ではない」と言い逃れしやすい偽証罪・虚偽告訴罪ですから、情状面が最悪かつ十分認定できるのに軽い処罰で済ませるのであれば、偽証罪・虚偽告訴罪と言う犯罪自体が軽く扱われ、「被害者と名乗りさえすれば言いたい放題」となりかねず、被害者証言の誠実性と言う大前提自体が崩壊してしまいます。

この件については将来的に検証が行われることと思われますし、有罪認定した裁判所や起訴した検察の問題も指摘される可能性が非常に高いと思いますが、被害者証言の信用性と言う意味で、これまでの被害者保護に向けた刑事司法の流れ自体をぶった切りかねない、恐るべき事件であったと思います。








もう一つは、釧路地裁で、強制わいせつ未遂で無罪判決を受けた冤罪被害者の男性が、自称被害者に対して民事訴訟を提起した事例。(ニュースはこちら
こちらは、冤罪被害者側の請求が棄却された、とのこと。

自称被害者の誤った告訴等による冤罪被害が不法行為として冤罪被害者に対する損害賠償が命じられる事例も、存在しない訳ではありません(一例としてこちらをどうぞ)が、今回は請求が認められなかったようです。

判決の当否自体については大阪の再審事件と比べても情報が少ないため、ここでは留保します。

ただし、こうした裁判が起こる背景等を考えることは一つ重要と思われます。
不運にして冤罪に巻き込まれた冤罪被害者の立場としては、自身の被った損害を回復してもらう方法が少ないのが実情です。

刑事補償制度はありますが、実損害がいくらであろうと上限は「身柄拘束日数」×12500円(月額37万5000円、年額456万円)だけです。身柄拘束以外の慰謝料や経営等の損害は賄われません。やっとのことで無罪で釈放されたら、借金が返済期限切れとなって裁判をいつの間にか起こされ、欠席のまま敗訴になって家が差し押さえられ、無くなっていた・・・などというようなケースさえあります。(こちら参照)
家族もろとも路頭に迷いましたと言う件でさえこれで、後は生活保護etcを頼りなさいで片づけられます。しかも、刑事補償金を受け取ると、その金を使いきるまで生活保護は打ち切られるでしょう(震災給付でこれが問題になりました)。
裁判官がいくらあんまりだと思ったとしても裁判官にも刑事補償を値上げする裁量権がなく、安すぎないか、という声は冤罪事件の度に非法律家からも上がる所です。
これまでの社会生活や名誉をずたずたにされた損害を埋め合わせてもらおうとした場合、国家賠償訴訟を別途起こすのが一つの考え方ですが、これは難しいのが通例です。

そうすると、次に標的になるのは誤った告訴・告発をした自称被害者になるでしょう。
誤った原因に過失はなかったのか。
不十分な記憶、あやふやな目撃状況を前提に犯人を断定してはいなかったか。
被害経験を針小棒大に語ってはいないか。(金払ってと頼まれただけなのを、ものすごい勢いで怒鳴られたと言ったり)
善意の他人に流されるまま、言うことをころころ変えてはいないか。
そういうのを徹底的に追求すれば、誤った証言や告訴について、一定程度被害者の証言・告訴にあたっての落ち度が入ることは通例になると私は考えています。

また、私が弁護して嫌疑不十分で不起訴処分になった被疑者にも、「自称被害者を訴えたい」と言っている方はいました。

仮に裁判に訴えても、自称被害者に応訴された結果、刑事裁判で無罪だったのに民事裁判で「いや、あなたそもそも冤罪被害者じゃないでしょ、真実加害者でしょ」と認定されたケースさえあります。
相手方からの回収の見込み、元の裁判がいわゆる「灰色」であった場合に社会的な非難を受ける可能性・・・自称被害者への民事提訴はリスキーで、おそらく今回の釧路の男性もそういったリスクを覚悟の上で訴えたのではないかと思います。

しかしながら、自称被害者が真実犯罪被害者であったとしても、被害認識に正確を期するのが難しいのは先述したとおりです。
ここにあたって自称被害者側の過失を取りすぎれば、「真の被害者」も恐ろしくなって被害申告をためらってしまうという考え方から、誤った告訴・告発がなされたとしても、自称被害者に対して裁判所が過失を認定すべきではないのではと言う見解があります。
誤った証言も同様と考えられるでしょう。

それ自体は私としては穏当な考え方かな、と思います。

ただし、他方において、それは冤罪被害者に泣き寝入りを強いる考え方であるのも事実です。
事件の性質によりますが、冤罪被害者と自称被害者、どちらに落ち度があるかと言えば自称被害者にあるのが通例でしょう。
こうした自称被害者の落ち度のために、冤罪被害者は人生崩壊級の犠牲を蒙り、それを刑事補償金だけで我慢しろ、というのは冤罪被害者にとって過酷な考え方です。

釧路の件で冤罪被害者が起こした訴訟は「金」というよりは、名誉回復が目当てかもしれません。
しかしながら、「刑事補償制度がしっかりしているから、あえて被害者相手に責任追及をしなくても冤罪被害者は(少なくとも金銭面では)救済されるじゃないか」という価値判断ができればこそ、「被害者に対する責任追及を幅広く認めなくてもいい」、と言う考え方もできるところでもあります。


自称被害者への責任を問わない形で冤罪被害者に対し我慢を強いるならば、それに対応する手当が何らかの形で用意されるべきと考えます。
一番手っ取り早いのは、刑事補償制度の更なる充実でしょうか。
裁判官に裁量権をもっと大きく与えて、個別に高くなりすぎる件は裁判官の裁量で金額を抑えて対応する。
又は、国家賠償について、検察等に無罪について極めて高い注意義務を要求する。

そういった形を取らないままでは、いつか冤罪被害者vs自称被害者の泥沼の中で、自称被害者に責任が認められる流れになっていき、真の被害者に対する萎縮も我慢すべしと言うことにもなりかねません。








私個人として、被害者の方を叩くような流れはあまり好きませんが、さりとて被害者と言う肩書のみに依拠した免責が新たな被害をまき散らすこともまた事実であり、その場合に被害者だから一切責任を問われない、と言う見解はとても賛同できるものではありません。
被害者による告訴や証言を担保するための制度と被害者保護に関する考え方について、一定の見直しを迫られる可能性が出てきているように思います。





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最終更新日  2014年11月27日 16時02分21秒
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