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ニューストピックス

2006年02月23日
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カテゴリ:歴史・戦史
掲示板にて大江戸看板男さんから、ひとつ質問をいただきました。


   ~~~~~~~~~~~~ 引用開始 ~~~~~~~~~~~~

 ところで今日拝見させていただいた中でひとつ伺いたい箇所があるのですが
 このときラルフ・バード海軍次官は「警告もなしに100万人もの人々を
 殺害することはフェアではない、反対だ」と発言する。」というくだりの
 「100万人」という部分、ここを間違って解釈すると大変な誤解を生じると思い
 あえて質問させていただくのですが「10万人」の間違いではないのでしょうか?
 それとも原爆の連続投下をしてゆくと「100万人くらいの日本人の被害が出る」
 という意味なのでしょうか?

   ~~~~~~~~~~~~ 抜粋引用終了 ~~~~~~~~~~~~


ご質問に対しては、メールでの返答、または相手方の掲示板に書かせて
いただいているのですが、この問題に関しては、かなり長い文章になることと
また、当ブログを覗いてくださる方々にも興味深い内容ではと思い、日記にして
大江戸看板男さんのご質問に私の力量の出来うる範囲で返答させていただきます。

*「百万人」、「十万人」は資料の誤植ではないことを先に書いておきます。


1945年5月12日 
目標検討委員会メモにはこの日、目標地域が草案されている。
1.京都 2.広島 3.横浜 4.小倉         (フリーページより)

もう少しさかのぼり、春先にトルーマンと補佐官たちとの原爆目標についての
会議(談話レベル)が行われています、このときは、天候のことがまず話し
合われています、1月がベストだが、そこまで待てない、9月は長雨のため天候悪、
7月はよくなる、8月はもっといい・・・このようにして8月が投下予定月として
選定されました、さらにその後、目標都市の話し合いがなされます。

グローブズ将軍(マンハッタン計画を引き継ぎ、強行に原爆投下を主張し続けた男)は
「その爆弾の効果を正確に評価できるようにするため、標的は以前に空襲で被害を
受けていないこと。また、第一目標は原爆の被害がちょうどその市街地に
とどまるような規模なら望ましい。そうすればその爆弾の威力をいっそう
はっきりと見ることが出来る。」と語っています。

そして、東京(湾)・横浜・名古屋・大阪・京都・神戸・八幡・長崎を含む
17都市を委員会は標的として研究することになります。

この頃、大都市空爆がルメイにより行われ、東京もたくさんの人が焼け死にました
結局、このような大被害を与えた都市は原爆投下目標を外されます、理由は被害状況の
期待する測定が出来ないという、単なる科学的レベルにおいてでありました。

ここで問題なのは、日本への投下は無差別にどこでも良いと考えたグループがいた
ということです、第20空軍は自分たちを邪魔するものはすべて焼き尽くすことを
前提としており、東京だろうが、どこだろうが、殲滅することを良しとしていました。

委員会は、その後、次のような標的要件3つを出しました。

 ・直径3マイル以上の大きな都市にある重要な目標
 ・爆風によって効果的に被害を与えられること
 ・来る8月まで攻撃されずに残されそうなこと

そして、委員会による選定都市が上記のようになりました。


この5月12日の決定前にトルーマン大統領とスチムソン陸軍長官は4月25日に
会っているのですが、そのときの冒頭にスチムソンはこう述べています。

「どんなことがあろうと4ヶ月以内に、我々は人類史上もっとも恐ろしい兵器
一発でひとつの都市全体を破壊できるような爆弾を完成する。」

一発で都市全体を破壊ということが、殲滅ととるか壊滅ととるかは難しいところですが
どちらにせよ、かなりの被害を与える恐ろしい爆弾と考えていたことは間違いありません。

*スチムソンは京都に落とすことはいけないと諭したということで、一部善人的に
 書かれている本がありますが、単に占領をおこないやすくするためのことであって
 何も、そこに善だとかいう心はないと思います。


1945年7月16日
午前5時29分 原子爆弾実験

ここで、原子爆弾の威力を目で確認しています、それまではすべて机上の理論で
話はすすめられています。

問題のラルフ・バード次官が発言した対日戦略会議は1945年6月18日のこと
つまり、彼はまだ実際の威力を書いた報告書等を見て発言はしていません
おそらく、スチムソンの一都市を破壊出来うるという発言に裏づけされる
この時期の原爆に対する威力の認識を以て、発言していると考えることが妥当でしょう。

そして6月ですから、4都市の選定は進んでいるという状況であります。

米国は、日本の大都市の調査を行って、大体の都市人口を把握しておりますから
その計で約100万人という数字を出したものと考えます、例えば広島は34万2千
京都は100万都市です、米国はとりあえず2種類の原爆を落とすことを予定し
その後、降伏するまで、大都市への原爆投下を続行するつもりでしたから
私は、ラルフ・バードは「100万人」と予想し発言したものと考えます。

広島も長崎も、春先までは全壊滅、また通告なしですから住民の避難も間に合わず
(想定すれば、今の私たちが普通に暮らしている中で、急に爆弾を落とされる)
この2都市だけでも50万人以上の被害者は想定されていたはずです。

トルーマンは、次のようにラジオで報告しています。
「われわれは、日本の戦争遂行能力を完全に破壊するまで原爆を
 引き続き使用する。日本の降伏のみが我々を思いとどまらせるからだ。
 (ポツダム会談に関する、トルーマン大統領のラジオ報告) 」

現実に、敗戦日に三発目の原爆が用意されたとの報告もあります。


大江戸さんの質問に端的にお答えさせていただくとすれば、「100万人」は
京都に落とす一発、または京都から落とし続ける被害を想定してのラルフの発言であり
これが、1945年7月25日の広島、小倉、新潟、長崎の選定後なら、もう少し
数字の変化があったかもしれません。

あくまで想定でしかありません、100%確証のない答えで申し訳在りません。

皮肉なことに原爆後遺症による被害者を考えれば、ラルフ・バード次官の
「100万人」は、当たってしまった悲劇の数字かもしれません。



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「 下記、参考文献一部 」

原子爆弾の誕生(上)   原子爆弾の誕生(下)   原子爆弾の記録   史料・太平洋戦争被害調査報告   原爆を投下するまで日本を降伏させるな



 一 夢 庵 風 流 日 記





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最終更新日  2006年08月16日 21時50分42秒
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