|
テーマ:一人旅(国内)(646)
カテゴリ:北東への旅
大舘には、花岡鉱山がありました。
亜鉛、鉛、金、銀などが産出したそうです。 ここで、戦時、中国から強制連行されてきた人たちが 多数、犠牲になる花岡事件も起きています。 そのことを忘れず、日中両国の友好を祈念して 平和記念館が作られています。 早朝の訪問で、開いてるはずないですが^^ 昼でも、予約した方が良いです。基本土日開館なのかな??? 花岡鉱山に、中国 河北省(北京と西安の間?^^)から 強制連行されてきた中国の人が千人近く働かされていました。 連行されてきたのは、1944年6月とありますね。 その1年ほど後、あまりの待遇の酷さに、ストライキが起こされ さらに、労働者が蜂起し、脱走する事件が起きたのが、1945年6月。 山狩りが行われ、ほとんどが連れ戻され、 共楽館(労働者のための娯楽施設?^^)の広場に集められ 炎天下、3日間居らされ、その間約100名が死亡。 結局、この事件で400名ほどが亡くなられたようです。 戦後、12月には、幸存者(生き残られた方を中国ではこう表現されています)531名が 塘沽(タンクー)港に戻れたと。塘沽から、石家荘や保定へ帰られたということです。 私、30年くらい前???に行ったことがあるんです。 そこで、幸存者の方にお話を聞かせていただきました。 畑や家で襲われ連行され、鉄道の駅の倉庫に集められ 港の倉庫から、船に満載されて連れていかれたと。ぎゅうぎゅう詰めで、途中で 亡くなった方は日本海へ投げ込まれていたと。 だいたい10%が移送中に亡くなったとか。 宿舎の周りは鉄条網で囲まれ、軍用犬が見回って逃げられないようになっていた。 食事は、ごく少量で、太平洋汁(薄くて、具が入っていないかろうじて塩味がする。。。) 両方の小指を縛られ、吊り下げられ、指は今も曲がったままだと、見せて頂きました。。。 碑文の最後が見えてませんが 過去にあった事実を忘れず、日中両国不再戦の誓いを新たにする と結ばれていました。 ちなみに、日本へ強制連行された中国人約4万と記されています。 朝鮮からは100~200万と、比べると少ないですが 中国の人は、日本より、偽満州へ連行されることが多く、そちらへは 100万人くらいは連れていかれたということでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jun 10, 2021 07:08:30 AM
コメント(0) | コメントを書く |
|