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カテゴリ:政治について
あまり政治向きのことは書きたくないのですが少しだけ・・・・・
小泉首相APECの記者会見で靖国参拝について質問され「戦争をしないという思いを持って、心ならずも戦地で亡くなった方達の冥福を祈るため云々」と答えていました、大体いつもそのように発言なさってますが。 小泉さんいつも「心ならずも亡くなった方達」という言い方をされるのですが、ついその言葉にひっかかります。 靖国神社は明治天皇の思いもあって、明治政府が幕末から明治維新時に官軍側にたって戦死した人たちの霊を祀るために建立し、それ以降日清・日露・そして先の大戦の戦闘員・兵士の戦死者が祀られています。 日本の文化・伝統では死者を神様として祀るという考え方があります、更に命のやり取りをした戦いのあとには、敵・味方の区別なく平等に弔う・慰霊するという‘怨親平等’の考え方もあり、これは美風だと思います。 靖国神社はその怨親平等という考えから見れば、明らかに片手落ちで味方の霊だけ祀ってあり、そもそもの出発点が間違っていたともいえます。 維新時であれば江戸幕府についた側(会津藩など)の戦死者も弔って欲しかったものです。 ですから靖国神社に祀られている人達、彼らに対して慰霊の気持ちは勿論持ってますが、一国の首相たる人‘怨親平等’の事も考え、戦争で亡くなった 人達、味方の兵も敵兵も非戦闘員・民間人全ての戦争犠牲者の慰霊をして欲しいのです。 「心ならずも亡くなった方達」とおっしゃいますが戦闘員・兵士はある程度の覚悟を持って戦地に臨んでいると思います。ほんとに「心ならずも」と言ってあげる人たちは、大陸や半島の民間人、そして国内の沖縄の民間人、空襲の犠牲者・・・これらの人たちではないでしょうか。 これが小泉氏の言葉にひっかかるゆえんです。 靖国参拝に関しては前にも何回か書きましたが、ずっと考えてることの一つです。そして憲法についても、自分なりの考えをきちんと持っておこうと思ってますが、理想論と現実論のはざまで考えが揺れ動いてます。 ムツカシイです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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