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カテゴリ:旅の日々
トリノオリンピックも始まりました、行きたいなあトリノ。なあんて事を言ってる状況でもないので、イタリアを旅した日々のシリーズを始めたいと思います。
その第1回 働いていたイタリア料理店の主人から、イタリアへ行ってみるかと言われて店からの出張という形で、イタリア行きが実現したのが仕事を始めてから3年目の1980年10月。考えてみるともうあれから26年も経っていて、四半世紀前(大げさな言い方) その年の春に人材育成という事で、店の若い子を店の主人が修行したローマのレストランに送り込んでいたので、彼の様子を見るという事もあって、主人が一足先にローマへ行き現地で彼らと落ち合う段取りとなりました。 経費で行くわけですから航空券も安いのを探すべく、今ではすっかり大きな会社になった創業間もないマップツアーが、まだ京都の小さなビルの一室でやっていた所へ出かけ、その頃はまだめずらしいと言ってよい、格安航空券を手に入れました。シンガポール航空(SQ)で伊丹~シンガポール・バーレーン経由ローマ往復、行き帰りの便は指定で18万円ほどでした。 そして出発の日10月16日。前夜季節はずれの台風が近畿地方を襲いましたが 16日は台風一過の快晴、これは幸先いいやと京都駅の空港バス乗り場に向かいました。トコロガ 名神の大山崎(新幹線で通るとサントリーの工場が見える辺です)あたりで、台風のため崖崩れがあり高速道は不通、空港バスも運休。マンマミーア! トラベルの語源はトラブルとはよくいったものです。まあでも京都駅ですから新幹線にすぐ乗って新大阪へ、新大阪からバスで伊丹、楽々セーフでした。 さあSQ機内へ、客室乗務員のお姉さん達、紺紫系統のペイズリー柄のチャイナ服のようなデザインのコスチューム、太もものあたりまでスリットが入っていてまあ色っぽいこと。おじさんはもうそれだけでフラフラになってしまいました。 シンガポール・チャンギ空港で3時間ほど待ちローマへ行く便に乗り継ぎ、中継地のバーレーンには現地時間の夜中の2時過ぎに着きました。クルーの交代・給油・機内掃除のために一旦空港ビルへ、ビルの大きな窓の外は暗闇が拡がり、その向こうにはバーレーンのダウンタウンンの灯が見えました。真っ暗で見えないけどきっと砂漠がずっと続いているのだろうなと思ったものです。ビル内の一角にしきってある場所があり、中からはイスラムの人たちの祈りの声が聞こえてきました。あー異文化圏に入ったのだなとつくづく感じたものです。 そしてまた機上の人となり一路ローマへ。 ローマには朝の9時前ごろに着きました。機が着陸態勢をとり窓の外にはイタリアの大地が拡がっています。ラッツィオの丘陵地帯のテラコッタ色の土地、それを彩るかのようにモスグリーンの低木の林があり、海・ティレニア海も見えます(胸の中では興奮・感動しまくり)。 着陸! 着いたあ! 幸いなことに空港ビルへはバスで行く方式だったので、飛行機のタラップを降りて イタリアの地に初めの一歩を印すことが出来ました。 つづく 今日も前説のような話になってしまいましたが、初めてのイタリア行きだったので ローマに着くまでの事も、けっこう覚えているし、計画を立てた時から旅は始まっているとも言います。次回はイタリア国内のことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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