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カテゴリ:旅の日々
初めてのイタリアへの旅を終えてから5年目の1985年、再びイタリアへ行く機会がめぐってきました。
この時は、働いていたイタリアレストランのスタッフ全員と店主のF氏夫妻、その家族・友人といった顔ぶれ23人での(この23という数字ははっきりと覚えています、その訳はまた後日に)パックツアーという形になりました。パックツアーといっても、日程・行き先・訪問場所などは全てこちらで計画・予定を立てて、それを旅行代理店(日本旅行)に手配してもらう自前のツアーです。 スタッフ全員で行くので時期は正月も終わり、商売では一番暇な時期とされている2月に店を休んでの8日間の旅となりました。 80年にS君をイタリアに修業に出し、その人材育成の続きとして82年からまた1年間H君をイタリアに送り、この85年の時点ではM君がイタリアで修行中でした。 この時のツアーにはもちろんH君も参加してますので、H君が修業した店を訪ねるべく旅程にはその店のある町も組み入れてあり、修行中のM君は休みを取って現地イタリアで合流して旅に参加しました。 出発は大阪伊丹からJALで。日本からの添乗員はいないので空港で日本旅行の人から、これから乗る機の搭乗券をもらい、帰りの分の航空券も渡されました。そこで店主F氏が「J君みんなの分の航空券、君が全部持っててあげて」と鶴の一声。店長として働いていたので立場上、そのような幹事のような事をせざるを得ません、日本に帰る時まで全員の航空券を預かっての旅となりました。(ちょっとプレッシャーあり) その頃の北周りは伊丹~アンカレッジ~コペンハーゲン~ローマという経路でした。 アンカレッジではいったん機から降りて空港ビルに入ると白熊君(もちろん剥製)がいました。給油やらが終わってまた搭乗するのを待ってる間、みんな若かったので、空港ビルの戸外の展望デッキにTシャツ一枚で出て、寒さの我慢比べをしたり、まだ旅は始まったばかりというのに、はしゃぎたおしたものです。機内ではビールとかが飲み放題だったので、ベロベロになるまで飲んだり(僕ではないですよ)イタリアに着くまでもなつかしい思い出が一杯です。そういえばコペンハーゲンの空港ではビルの内装工事をしていましたね。 そしてローマに着きました。 今日はここまで・・・・・・・・・・ つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年04月03日 10時59分47秒
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