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January 26, 2007
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カテゴリ:思うこと
 最近のかなくんは、発作はあるけれど時間も頻度もたいしたものではなくて
まぁまずまずといった状態ではあります。
水疱瘡からも完全に復活して昨日・今日と保育園でたくさん動いて遊んで楽しく
過ごしているらしいです。
 
 薬はこの半年全く量を変えていなくて、それでも発作の頻度は今までで一番少なく
それなりに薬も合っているんだろうと思える毎日です。
消失はしないものの緩やかな抑制とでもいうのでしょうか。
発作はないにこしたことはないし、日常生活は彼なりに機嫌よく過ごせているようで
可もなく不可もなくといった感じです。

 いい状態とはいえ発作はあるわけで、親としてはまずは発作の抑制を考え
その次には発作の消失を願っているわけで、そして一番大きな願いと期待は
少しでも知的な発達の促進です。
 
 少しずつ少しずつ、焦らずに前向きに、と思ってはいるものの
やっぱり欲はあるし、願いも大きくて。

 同じ結節性硬化症の子供さんたちが皆かなくんと同じような感じかといえば
それこそ子供の数だけいろいろなケースがあるようで、千差万別・十人十色、
その症状や発達はさまざまです。
 それは当初から分かっていることだし、比べることでもなければ楽観することでも
悲観することでもないけれど、それでも「出来ること」「出来たこと」などを
いろいろなブログを拝読させていただいて感じられると、やはり焦りを感じたり
何か心の奥底に重いものを感じたりします。

 それでもかなくんはかなくんなわけで、毎日少しずつ成長しているとSTの先生や
加配の先生は仰ってくださいます。
もちろん全く前進していないことはないだろうと思ってはいるし、願ってもいるけれど
それでもその「成長」の度合いは健常児に比べれば取るに足りないことになります。

 このところ加配の先生から褒めていただいている事柄は
「イスに20分程、おとなしく座っていられた」
とか
「自分から(本来いるべき)年少のクラスに入っていけた」
なんていうことばかりで、それは毎日お迎えに行って
「今日はこんなことが出来ましたよ!」
と教えていただく内容としては、嬉しいのですが、嬉しくないことはないのですが
その反面
「それって・・・。そんなことで・・」
と、どうしてもどうしても思ってしまうことも多々あるわけです。

 我が子の小さな積み重ねを褒めていただけることは、その親として本当に
嬉しくて有難いことです。
でもそれと同時に、何ていうんだろう、何か心の奥の方でとても冷めた自分の心が
あることにも最近気づきます。
 
 イスに座っていられた、のは嬉しい成長だけど、それがナンだろう、なんて
考えてしまう自分もいるのです。
醜い考え方ですが、そんな「重箱の隅をつつく」ような感じで一生懸命褒める点を
見つけてくれなくてもいいだろうに、なんて寒々とした思いを抱くのも事実です。

 昔からなぜか悲観的な物の見方をしてしまう私なので、日頃から気をつけて
出来るだけ前向きにポジティブに物を見よう、考えを向けようと努めています。
特にかなくんの病気が発覚してから、あまりの衝撃に少しオカしくなりかけていて
それはやっぱり事態の深刻さもさることながら、自分の元々の物事の思考能力や
判断能力がどうしても悲観的なことも作用していると自分で気がついてからは
意識的に楽観視するように心がけていて、それはある意味「逃げ」になっていたりも
したけれど、それでも自分の心が均衡を保っていられるように、少し「鈍感」に
なろうと思ったりもしたわけです。

 それでもやっぱり持って生まれた思考回路はなかなか変えられなくて、精神的に
凹んでいたり、余裕がなかったりするとすぐにネガティブ思考に陥ってしまいます。

 このところ加配の先生が毎日お迎えに行くとキラキラした目をして
「今日はかなくんはこんなことが出来ましたよ♪」
と教えてくださって、その内容が本当に親のくせして恥ずかしいのですが
「取るに足らない」と思えるようなことばかりで、言葉に詰まってしまいます。

 たとえ「取るに足らない」と思えることでも、それがかなくんがとても一生懸命
努力していたり、努力する姿を見せてくれたりしていたら、やっぱり感動ではあるし
心の底から「すごいな!」とも思えるのですが、特に彼が努力をしていたり
試行錯誤していたりするわけではなくて、かなくんはどこまでもかなくんのままで
マイペースで、だから、その頑張りがなかなかと伝わってこなくて、私は親なのに
その頑張りが感じられなくて、そして、「何だ、そんなことか」と思ってしまうのです。

 せめて彼との日常に少しずつでもいいから、目に見えたものとか、手ごたえとかが
感じられたらもっと感じ方も違うだろうに、と、冷たいことを思ってしまいます。

 でも私の中ではもちろん発達の促進や出来ることが増えていってくれたり
そして例えば理解力が増すとか発語があるとか、今は何となく夢みたいなことが
出来てくれたら本当に嬉しいけれど、その反面かなくんは今のままでもよくて
今の本当に赤ちゃんなままでもよくて、かなくんがそこにいてくれたらよくて
そんな取りとめもない思いがあって、だからこそ先生の「出来たこと報告」が
嬉しいというよりも「そんなことでしか喜べない」ような気持ちになってしまったり・・。


 こうやって自分の頭の中のもやもやしたものを活字にしてみると、
改めて私ってすごい冷酷な人間だなぁって再認識。

 ほんの些細なことでも見つけて褒めて喜んでくださる先生は本当に有難い存在で
私もかなくんも恵まれているんだなぁと深く感謝こそすれ、私が抱くこの許しがたい
感情は醜悪以外のなにものでもないんだなぁ。

 褒めてくださることは嬉しいけれど、内容があまりに低レベルなだけに
時々泣きたくなるようななんともいえない感情が噴出しそうになります。
そもそも「低レベル」という考え方こそが間違っているということも、自分の中で
よく分かってもいます。だけどふと思ってしまいます。

 

 あぁ、またちょっとオカしくなりかけてるのかな、私。
何がいいたいのか分からなくなってきちゃった。
自分の考え方が間違っている、ということは、本当によく分かってはいるんだけど。
 こんな考え方しか出来ない自分が情けないし、悔しいし、悲しいです。

 思い切って言葉に出してしまうけれど
『障碍児と生きる日常』は大切なことや見失いがちなものに気づかされることが多くて
今までの自分の甘さやズルさを痛感させてくれたりするけれど、貴重な時間を過ごさせて
もらってたりするけれど、それでも、それでも敢えていうならば
彼と共有する時間や日常は辛くて苦しくて逃げ出したくなる空間でもあります。
 だからといってもちろん、逃げ出したり放り出したりすることなんて絶対にないけどね。





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Last updated  January 27, 2007 01:46:16 AM
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