未熟を生きる
★今日のフォーカスチェンジ♪未熟を生きるこのところ、しみじみ、これまでの自分が、いかに被害者意識のなかで生きていたかということを、感じています。何か特別なきっかけがあって感じているわけではなく、ふっと、目の前のおおいがはずされたという感じです。はずされて、見ると、これまで見えてきた景色が、まるでちがって見えてきます。自分が不遇な立場にあると思っていたことも、自分がそれに値するだけのことしかしていなかった結果であることが、納得できるのです。ひとから批判されて、それを不当に感じる自分がいたのですが、いまになって考えてみると、なるほど、言われたとおりだったなあと、素直に受け止められるのです。それでいて、不思議に、自己嫌悪といった感情は湧いてこないのです。あのときは、そうでしかいられなかったのだなあと、淡々と思うのです。未熟な自分がいて、その、未熟な自分を受け入れることができなくて、目隠しをしていたのです。その目隠しが、はずれたということでしょうか。はずれたということは、もう、見るだけのちからがついたよというお知らせでしょうか。あるいは、もういいかげんに見なければだめだよという、お叱り(誰が?)でしょうか?(^^ゞいずれにしても、過去の自分が、あらわに見えてきて、見えてきた結果、感じるのは、それでも受け入れてきてくれた、まわりのひとたちへの感謝の気持ちなのでした。ひとだけでなく、ありとあらゆる存在にたいする、感謝の気持ちなのでした。その感謝の気持ちが、ひたひたと満ちてきて、生かされているというのは、こういうことなのだろうなあと、静かに、感じているのです。そうして、もうひとつ思うのは、ひとは、そうして、未熟を生きる生きものであり、未熟そのものが、生きるプロセスなのだと。そんなふうにも感じるのです。さらに、もうひとつ思うのは、この、未熟を生きていることに気づくこともまた、プロセスの一環なのだと。すべてはあらかじめプログラミングされていることなのだと。まったく根拠はないのだけれど、そんなふうに感じてならないのです。そしてそれゆえに、私は、自分の未熟さをゆるすことができ、同時に、ひとの未熟さをも、ゆるすことができるような気がしたのです。今日のメッセージは、誰かに伝えるというよりは、自分自身の確認のような感じになってしまいましたが。もしも、これを読んでくださっているあなたが、自分をゆるしていないとしたら、そのゆるしにつながるきっかけになってほしいと、願わずにはいられません。私たちは、未熟なのです。未熟というプロセスを歩むように、プログラミングされているのです。だから、ゆるしていいのです。自分をゆるし、自分をゆるすように、ひとをゆるしていいのです。ゆるしあえるようになることが、プログラムの目的なのです。そのために、あえて、未熟を生きるようにできているのです。…と、なぜか、断定型で書いてしまいましたが、(^^ゞ書いてしまいたくなったので、書いてしまいました。これが仮にまちがいであったとしても、未熟ということで、どうぞ、ゆるしてくださいませ♪ …あれ、ゆるしの使いかた、 ちがってますか?(笑)●今日の記事、心にひびいたよ~というかたは、 よかったら、↓クリック↓していただけると、うれしいで~す♪≫≫≫≫≫ ≪≪≪≪≪(クリックするだけで、ポイントが加算されます) 世界の医療団 ひとことメッセージが添えられます。子どもが、本気で夢を語れる社会。その本気の夢を、本気で応援できるおとながいる社会。そんな社会を一緒につくっていきませんか?そのとき、そこには「いまどきの子どもは…」なんて嘆くおとなは、存在しなくなります。「自分の本音を語ることなんてできない」なんて思う子どもは、存在しなくなります。ほかの誰でもない。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^私たちが、この未来の社会をつくっていくんです!^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^その第1回目に、あなたも立ち会ってみませんか?日時/2011年5月5日(木祝)13時~17時会場/横浜市青葉公会堂(東急田園都市線市が尾8分)参加費/大人3000円、15歳以上2000円、 14歳以下1000円 ファミリーチケット(5人まで)5000円 学割チケット(3人以上1人あたり)1000円詳細/こちら!お申し込み/こちら!問い合わせ/こちら!