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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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小野寺秀也

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2023.01.20
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テーマ:街歩き(613)
カテゴリ:街歩き

 この冬、金柑にハマっている。もともと、夕飯時にはちっちゃなチーズ片と少しの果物をそえて白ワインを飲むのが好きなのである。果物は、ブルーベリーや杏、プラム、ソルダム、葡萄、小さなリンゴなどそのまま食べられる種類に限られる。
 昨年、しばらくぶりで食べた金柑は甘すぎて一回で止めてしまったが、今年の金柑は種類が違うのか、酸味と甘みにちょっと苦みが加わってとてもおいしいのである。季節のものだから何時まで食べられるかわからないが、少なくとも昨日はまだ売っていたので一パック買ってきた。
 これから金デモに出かけるので遅い夕食になる。ほかのメニューは何も決めていないが、白ワインとチーズに金柑というセットだけは確実である。​









勾当台公園から一番町へ。(2023/1/20 18:18~18:36)


 少し風が強く吹くときがあって寒そうだが、カメラは何とか素手でもいけそうである。とはいえ、気温が下がることも考えて手袋もバッグに突っ込んで家を出た。
 ちょっとだけ遅刻して着いた勾当台公園の野外音楽堂では車の前照灯をステージに向けて集会が始まってた。

 スピーチでは、昨日の「ふるさとを返せ! 津島原発訴訟」控訴審の傍聴報告や5月24日に判決が出る「女川原発差し止め訴訟」の話がなされ、25人のデモ参加者はときどきプラカードを強風に煽られながら一番町に向かった。















一番町。(2023/1/20 18:41~14:51)


 集会で配られたチラシの中に12月4日に女川町で開催された元福井地裁裁判長の樋口英明さんの講演会の報告があった。樋口英明元福井地裁裁判長は、2014年に関西電力大飯原発の運転差し止め判決を出して『原発を止めた裁判長そして原発を止める農民たち』という映画の取り上げられたばかりではなく、退官後、多くの講演会などを通じて原発の危険性を訴える活動を始めたことでよく知られている。
 樋口元福井地裁裁判長が大飯原発の運転差し止めを命じた判決文は、117ページに及ぶ長文であるが、それを読んだときにはその格調の高さと気品にとても感動したことを覚えている。
 特に印象的だった箇所を抜き書きしてみる。「第4 当裁判所の判断」という章の「1 はじめに」では決然と述べられているのは次の文章である。


​​ 個人の生命,身体,精神及び生活に関する利益は,各人の人格に本質的なものであって,その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条,25条),また人の生命を基礎とするものであるがゆえに,我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。 (p. 38)​​


 また、「2 福島原発事故において」の節で述べられた次の文章に、私は一番感動した。


​​原子力発電所は,電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが,原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条),原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって,憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。 (p. 40)​​


 この判決は、「たかが電気のために」という私たちのいわば感覚的主張を、憲法に基づく人格権によって確固とした法哲学、社会正義の考え方として明示しているではないか。たかが電気を作る一手段が人格権を前にして何ほどのことがあろうか、と主張しているのだ。
 さらに注目すべき論述が「9 被告のその余の主張について」で為されている。ここには原発問題を考えるうえで極めて重要な法哲学、社会正義の考え方が示されている、と私は考える。第9節の全文を示しておく。

​​
9 被告のその余の主張について
 他方,被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性,コストの低減につながると主張するが(第3の5),当裁判所は,極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり,その譏論の当否を判断すること自体,法的には許されないことであると考えている。我が国における原子力発電への依存率等に照らすと,本件原発の稼動停止によって電力供給が停止し,これに伴なって人の生命,身体が危険にさらされるという因果の流れはこれを考慮する必要のない状況であるといえる。被告の主張においても,本件原発の稼動停止による不都合は電力供給の安定性,コストの問題にとどまっている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが,たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても,これを国富の流出や喪失というべきではなく,豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり,これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。
 また,被告は,原子力発電所の稼動がCO2(二酸化炭素)排出削滅に資するもので環境面で優れている旨主張するが(第3の6),原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって,福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害,環境汚染であることに照らすと,環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。(p. 66、太字強調は小野寺による)


 ほんとうに名文である。文章作りが上手いかどうかよりも、書くべき内容が文章の美を決定するという典型的な例ではないだろうか。判決文という硬い文章にもかかわらず、とても美しい文章だと私は思う。正しい社会正義の品格が顕現している文章と言っていい。









青葉通り。(2023/1/20 18:57~19:03)


 いま、原発をめぐる多くの裁判、訴訟が争われている。そして、その多くは凡庸な裁判官によって上級裁判所への忖度、政治権力への阿りに彩られている。「曲学阿世」という言葉があるが、正義(法)を曲げて世俗権力に阿るという意味では「曲法阿世」というしかない。

 デモが終わった。夕食は9時過ぎになるだろうが、ワインとチーズと金柑が待っている。急いで帰るころにする。

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読書や絵画鑑賞のブログ
かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)
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Last updated  2023.01.22 10:34:35
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