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昨日のテレビタックルの録画を繰り返し見ました。 なんで? 参政権が欲しいのかが、やっぱり訳がわからないのです。 参政権付与賛成派の錦の御旗である、『最高裁判決の傍論』は知ってましたが、原告側のコメントは初めてこの番組で聴きました。 「(在日だけど)一生に一度は選挙に参加してみたい」と言っていましたが、これが本音なら、なんと情緒的なことで最高裁まで裁判をするとは・・・・ こんなユルユルな動機で裁判をしていたなら、アメリカの公民権運動とは違い、なんか『ダメもと』を理解してうえで、『義務の伴わない権利を手中にできたら儲けモノ』というのが透けて見えます。 真面目に考えてみて、なんか損をした気分です。 このテレビでも、付与賛成派は『国際化』というのを巧みにコメントに混ぜ、視聴者の『情』に共鳴さそうとしていました。 『国際化』というなら、法治国家の日本政府が、在日に参政権が付与されないことの『不正義』と『アンフェアー』を明確に論証すべきで、情緒に訴えるだけでは『国際化』という言葉を都合よく使っているという印象しか残りません。 民主党があまりにも外国人参政権付与にこだわるから、これまでの政権が、法治国家の正義と公正さを疎かにしていたのかと思いました。 では、参政権を付与する法律上の正義と公正はどこにあるのでしょう? それから未来の日本にとって、参政権を付与する場合の、日本国民のメリットはどこにあるのでしょう? 在日朝鮮人の方が、この法案に熱心だと聴いていますが、彼らにとって『権利闘争』であるのは理解できます。だから、彼らに選挙権を付与する場合の、日本国民の利益を説明できなければ、投票型民主主義の一番愚かなポジションに、日本が位置するということになります。 **** 蛇足ですが・・・ 出演していた共産党議員が、面白いことを言っていましたね。 たけしが、「熊本県波野村でのオウムの転入拒否は、転居の自由や信用の自由があるのに、拒否をできた根拠があったの?」というような内容の疑問を投げかけたときに、この議員先生が、「(地域の安定を守る)住民運動であって、やっぱり自由民自治に力あるということが日本良さですよ」とお応えになっておりました。 オウムだったから、住民運動を賛美したのじゃないですか? では、参政権を法律で認められた外国人が、イスラエルのように、小さな自治体にコミュニティーを創ろうとして地域住民と衝突しても、地域の安定を守る住民運動として『肯定』されるのでしょうか? どうでしょう・・・・
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