古河文学館にて「永井路子の戦国女性列伝」という企画展を見てきました。永井さんは東京生まれ、古河育ちの女流歴史作家で、NHK大河ドラマ『草燃える』や『毛利元就』の原作者でいらっしゃいます。そして「古河大使」のおひとりでもあります。今年の大河ドラマは『江~姫たちの戦国』ですが、永井さんも「おごう」を主人公にした小説『乱紋』(昭和49年)を書かれています。文学館においてありましたので、読ませていただいたところ、たいへん面白かったです。
江という女性はどんな人物かと言いますと、父は浅井長政、母は織田信長の妹であるお市の方です。姉に茶々(豊臣秀吉の側室)、初(京極高次の妻)がいます。江から見て伯父にあたる信長に父である長政を滅ぼされましたが、信長も家臣の明智光秀に暗殺されてしまいます。江の母である市はその後、柴田勝家に嫁ぎますが、秀吉に攻められて夫と運命を共にします。このとき江は14歳でした。その後、江は二度の結婚を経て、後の江戸幕府二代将軍・徳川秀忠の妻になり、三代将軍・家光の母になりました。
なんともドラマチックな人生ですね。では、戦国時代の女性は、男の都合によって行われた政略結婚の犠牲者だったのでしょうか? 永井路子さんによれば、そうではないのだそうです。戦国時代の大名クラスの女性は、ある意味、その家の共同経営者であり、大使として他家と親交を深めるために大使として派遣され、戦が起これば実家に戻されたそうです。実家の財産にも一定の権利をもっており、二重スパイとなっていた側面もあるということです。
今回の企画では、今川義元の母である寿桂尼、毛利元就の妻(名前不明)、明智光秀の娘で細川忠興の妻のお玉(ガラシャ)、秀吉の妻ねね、そして、上に上げたお市の方とお江の6人の女性が描かれた作品と、それについての解説、および関連資料が展示されていました。結論として、戦国時代の女性は、大名同士が同盟・離反する中で、家を背負って輝いていたということでした。泰平の世の中が訪れると「嫁しては夫に従え」といわれる立場になっていったということです。5月26日まで。