カテゴリ:ドラマレビュー!
「いだてん」第24話。第一部終了。
健康な金栗四三。自堕落な孝蔵。 運動と文化。スポーツと笑い。生と死。 あらゆるシンメトリックな構造が、見事に結実したような回でした。 途中から、わけもわからず泣いてしまった。 なぜ泣けたのか、どのシーンが泣けたかすら、よく分からない。 ◇ ◇ 増野シマ(杉咲花)は、前回から行方不明になっていました。 シマがいたはずの浅草十二階は、震災で上のほうが崩落してしまった。 彼女は、最上階には昇ってなかったけど、階下にいましたから、 崩落した瓦礫の下敷きになったかもしれないし、 大怪我をして、どこかで治療を受けてるのかもしれない。 ◇ 震災後の東京は、不気味な闇に覆われていました。 怪しい流言飛語が飛び交い、親を亡くした子供たちがお腹を空かせ、 夜になると人々のすすり泣きが聞こえ、死者たちの亡霊が町を彷徨う。 ある夜、 金栗四三は、シマの亡霊を目撃します。 いわゆる人魂ではないけれど、聖火を手にして走るシマの亡霊。 これは、もしかしたら震災を経験した人々の共通体験なのかもしれません。 ◇ しかし、やがてスポーツと笑いが、活力を取り戻します。 金栗四三は、東京じゅうを走り回って、熊本からの救援物資を届け、 孝蔵は、瓦礫のなかの即席の高座で、がむしゃらに人を笑わせる。 チンドン屋(大友良英)は音楽を奏でる。 嘉納治五郎は、スタジアムを避難生活者に開放し、復興運動会を開催する。 そして復興運動会の当日、 人見絹枝(菅原小春)が、シマの手紙をもって、シマを探しにやってきます。 このとき、 まるで、ばらばらだったピースが当てはまるように、 「人々が生き残った意味」と「死んでしまった人の想い」が噛み合う。 人見絹枝がトラックを走る姿に、否応なくシマの想いが重なります。 これに泣けました。生きる力と強さと尊さに泣けた。 走って、笑って、寝る。 そのことによって、 生きる人たちと、死者の魂が救われていく。浄化されていく。 これもまた、日本民族の共通体験、共通記憶なのかもしれません。 クドカンが描こうとしてきたのは、政治と経済のオリンピックではなく、 いわば生と死のオリンピックなのですね。 演出の一木正恵は、脚本の深い部分を的確に汲みとっていました。 ◇ このドラマは、 わかりやすい戦国時代劇でもなく、 わかりやすいオリンピック翼賛ドラマでもない。 だから、視聴率も低いのでしょう。 しかし、本当に大切なものは何なのかを、 もっとずっと深いところから問いかけているドラマです。 第一部は、いわば「敗北することの意義」を描いた内容でした。 1964年のオリンピックまでの物語が、 こんなふうに語られたことは、今までありませんでした。 ............................. お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.06.25 12:48:37
[ドラマレビュー!] カテゴリの最新記事
|
|