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まいかのあーだこーだ

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2021.06.17
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まめ夫の最終回。

母とマーさんの同性愛の話が出てきました。

わたしは、これまでも、
このドラマにうっすら同性愛の要素を感じてた。

たとえば、
八作と、店のシェフのもっちん(長岡亮介)との関係にも、
それを感じさせるところはあったし、

かごめが八作と結ばれなかったのは、
かごめがそもそも男性を愛せなかったからじゃないかな?
とも思っっていた。

真偽のほどは分かりませんが。



かりに、
もっちんが八作のことを好きだったとしても、
八作は、
かごめのことが好きだったわけだし、
かごめは、
同性のとわ子のことを好きだったのかもしれない。

同性であれ、異性であれ、
恋のベクトルが、ひとつずつズレてしまう。



中盤に登場したストーカー女たちは、
八作や鹿太郎や慎森を好きになったけれど、

鹿太郎や慎森は、とわ子のことが好きだった。

でも、
とわ子は、やはり八作のことが好きだった。
そして、八作はかごめのことが好きだった。

かごめは、とわ子のことが好きだったかもしれない。

母とマーさんの、
同性どうしの恋が成就しなかったように、
自由恋愛が可能な現代においてさえ、
完全な両想いは、なかなか実現しない。

どこかで現実的な妥協をせざるを得ない。



八作が、とわ子と結婚したのは、
かごめを諦めた彼にとっての妥協だったのでしょう。

とわ子が、鹿太郎や慎森と結婚したのも、
八作との関係を諦めたすえの妥協だったことでしょう。

そして、
とわ子の母が、父と結婚して出産したのも、
マーさんとの恋を断念した結果の妥協だったでしょう。


そのことについて、娘の唄はこう言います。

可哀想なおばあちゃん。
可哀想なおじいちゃん。
可哀そうなママ。
生きたいように生きられなかった。
おばあちゃんが生きた人生は、わたしの未来かもしれない。



…しかし、
実際にマーさんに対面して話を聞いた唄は、
その考えを変えたようです。



たしかに、
異性との結婚と出産を選んでしまった祖母の選択は、
現実的な妥協であり、打算であったともいえる。

それは、ちょうど唄自身が、
医者の道に進むことを諦めて、
「西園寺くんを支えるほうが合理的だ」
「結婚して西園寺くんを教育すればいい」
と考えるときの妥協や打算に似ていなくもない。

でも、
同じような妥協・打算のようでありながら、
きっと「何かが違う」と唄は思ったのでしょう。

唄は、その理由について、
「面倒くさい」と言って語らなかったけれど、

一言でいえば、
それは「愛があるかどうか」ということなのだろうし、
たとえ何らかの妥協をしてしまった人生だとしても、
そこに愛情があるのなら、
けっして「可哀想な人生」ではないのでしょう。





さて、

最後の最後は、
3人の元夫たちによる、いつものドタバタでした。

失恋のすえに去っていった3人のストーカー女たちも、
どうやら都内で無事に生きていたようです。



毎回、伊藤沙莉は、
冒頭のナレーションで、
「今週もくわしくお伝えします」と言ってましたが、

要するに、このドラマは、
視聴者が大豆田とわ子の生活を覗き見するための、
伊藤沙莉からの定期報告みたいなものだったので、

話の内容にはこれといって起承転結も無く、
ことによったらテーマさえ無かったのかもしれません。


伊藤沙莉からの一連の報告は、
とりあえず全10回で終了しましたが、

大豆田とわ子の生活はずっと続いていくわけなので、
しばらくしたら、また続きの報告があるのかもしれません。














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最終更新日  2022.11.15 11:13:23
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