カテゴリ:大豆田とわ子を分析・考察!
まめ夫の最終回。
母とマーさんの同性愛の話が出てきました。 わたしは、これまでも、 このドラマにうっすら同性愛の要素を感じてた。 たとえば、 八作と、店のシェフのもっちん(長岡亮介)との関係にも、 それを感じさせるところはあったし、 かごめが八作と結ばれなかったのは、 かごめがそもそも男性を愛せなかったからじゃないかな? とも思っっていた。 真偽のほどは分かりませんが。 ◇ かりに、 もっちんが八作のことを好きだったとしても、 八作は、 かごめのことが好きだったわけだし、 かごめは、 同性のとわ子のことを好きだったのかもしれない。 同性であれ、異性であれ、 恋のベクトルが、ひとつずつズレてしまう。 ◇ 中盤に登場したストーカー女たちは、 八作や鹿太郎や慎森を好きになったけれど、 鹿太郎や慎森は、とわ子のことが好きだった。 でも、 とわ子は、やはり八作のことが好きだった。 そして、八作はかごめのことが好きだった。 かごめは、とわ子のことが好きだったかもしれない。 母とマーさんの、 同性どうしの恋が成就しなかったように、 自由恋愛が可能な現代においてさえ、 完全な両想いは、なかなか実現しない。 どこかで現実的な妥協をせざるを得ない。 ◇ 八作が、とわ子と結婚したのは、 かごめを諦めた彼にとっての妥協だったのでしょう。 とわ子が、鹿太郎や慎森と結婚したのも、 八作との関係を諦めたすえの妥協だったことでしょう。 そして、 とわ子の母が、父と結婚して出産したのも、 マーさんとの恋を断念した結果の妥協だったでしょう。 そのことについて、娘の唄はこう言います。 可哀想なおばあちゃん。 可哀想なおじいちゃん。 可哀そうなママ。 生きたいように生きられなかった。 おばあちゃんが生きた人生は、わたしの未来かもしれない。 …しかし、 実際にマーさんに対面して話を聞いた唄は、 その考えを変えたようです。 ◇ たしかに、 異性との結婚と出産を選んでしまった祖母の選択は、 現実的な妥協であり、打算であったともいえる。 それは、ちょうど唄自身が、 医者の道に進むことを諦めて、 「西園寺くんを支えるほうが合理的だ」 「結婚して西園寺くんを教育すればいい」 と考えるときの妥協や打算に似ていなくもない。 でも、 同じような妥協・打算のようでありながら、 きっと「何かが違う」と唄は思ったのでしょう。 唄は、その理由について、 「面倒くさい」と言って語らなかったけれど、 一言でいえば、 それは「愛があるかどうか」ということなのだろうし、 たとえ何らかの妥協をしてしまった人生だとしても、 そこに愛情があるのなら、 けっして「可哀想な人生」ではないのでしょう。 ◇ ◇ さて、 最後の最後は、 3人の元夫たちによる、いつものドタバタでした。 失恋のすえに去っていった3人のストーカー女たちも、 どうやら都内で無事に生きていたようです。 … 毎回、伊藤沙莉は、 冒頭のナレーションで、 「今週もくわしくお伝えします」と言ってましたが、 要するに、このドラマは、 視聴者が大豆田とわ子の生活を覗き見するための、 伊藤沙莉からの定期報告みたいなものだったので、 話の内容にはこれといって起承転結も無く、 ことによったらテーマさえ無かったのかもしれません。 伊藤沙莉からの一連の報告は、 とりあえず全10回で終了しましたが、 大豆田とわ子の生活はずっと続いていくわけなので、 しばらくしたら、また続きの報告があるのかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.11.15 11:13:23
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