テーマ:政治について(19773)
カテゴリ:政治
いつもなら、
たとえ人命にかかわる事案を起こしても、 間髪を入れず、 「警察の対応には問題ありませんでした!」 とコメントするのが常ですが。 …さすがに今回ばかりはそうではないらしい。 NHKに出演した専門家などは、 「要人の警護は100%でなければならず、1%のミスも許されない」 と発言していました。 逆に言えば、 要人ではない一般市民の人命なら、 9割ぐらいのミスがあっても容認される、ってことでしょうか? 今回の警察の弁明には、そのような不公平感が滲み出ている。 ◇ 安倍晋三を襲った銃撃事件は「警察の失態」だと言われています。 しかし、見方を変えれば、 これは 現役警察官よりも元自衛官の能力が上回った…ということです。 実際のところ、 このような犯行は一般人には不可能だったでしょう。 誰にも怪しまれることなく、 したたかにタイミングを窺い、 一瞬の隙をついて、 自家製の粗悪な武器を丸見えにしつつも、 白昼堂々、TVカメラをふくむ公衆の目前で、 何の迷いもなく標的だけを仕留めたのですから。 大胆不敵というほかありません。 自宅で銃や爆弾を製造するようなミリタリーオタクっぷりも、 きわめて特殊な能力と嗜好だと言わざるをえない。 ネトウヨなどは、常日頃から、 「自衛隊の皆さん頑張って下さい!」などと言って、 自衛隊の国軍化を熱望していますし、 自民党もまた、 故人の遺志を受け継ぐのだと言って、 「いまこそ憲法改正!防衛費増額!」と息巻いていますが、 今回の銃撃犯の行動も、 ある意味では「自衛隊が頑張った結果」だと言わねばならない。 なぜなら、 軍人に求められる能力とは、確実に敵を仕留めることなのだから。 ここには軍人を育てることの大きなリスクがあります。 ◇ 今回の銃撃犯の戦闘能力・判断力・行動力は、 警護にあたったSPや警察官の能力を凌ぐものでした。 米軍基地の多い沖縄を見れば分かるとおり、 訓練を受けた軍人たちが市中に放たれれば放たれるほど、 社会生活のリスクはかえって高まります。 戦闘力だけでなく、 冷徹さや凶暴性という点でも、 訓練を受けた軍人は、一般市民とは異なるからです。 思えば、 ウサマ・ビン・ラディンも、 もともとは米国に支援を受けた義勇兵だったわけです。 その義勇兵が、やがて米国へと牙をむきました。 ◇ 一般に、 安全保障とは「盾を強化すること」だと考えられがちです。 しかし、 「敵の矛が強くなったら味方の盾をもっと強くすればいい」 という単純な話ではありません。 それは、 増強した味方の盾が、いつ敵の矛に変貌するかもしれない …というリスクの問題でもあるのです。 在日米軍が、一定の確率で社会犯罪を起こすのと同じように、 警察の戦闘力を強化すれば、 そのぶんだけ警官による犯罪のリスクも増すのだし、 自衛隊の戦闘力を強化すれば、 そのぶんだけ自衛官による犯罪のリスクも増すのです。 米国の銃社会が典型的にそうであるように、 身を守るための武力が、やがて身を滅ぼすための武力になる。 安倍晋三自身が「わが軍」と呼んだ自衛隊は、 まさにその当人を殺害するような人材を短期間で育てたのです。 ![]() ![]() ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.07.12 17:27:24
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