カテゴリ:プレバト俳句を添削ごと査定?!
冷やし中華明日も朝練あるってよ 夏風やふるさと恋し甘酢の香 玉の汗金糸玉子を刻む子や 冷やし中華残りし胡瓜母にらむ 遠き日の銀座冷麵待つもよし 炎天の列や限定二十食 町中華日傘を開く最後尾
プレバト俳句。 お題は「冷やし中華」。 ◇ 水野真紀。 冷やし中華 明日も朝練あるってよ 学食ならともかく、 中高の下校時に冷やし中華を食べたことがないので、 てっきり友人との会話じゃなく、母との会話かと思いました。 でも、 これは友人との「部活やめるってよ」的な言い回しなのかな? 勢いのある「a」「a」「a」の頭韻にもなっています。 なお、 古語の「あした」と「あさ」は同義語だし、 しかも「あした」と読めば中八になるのだけど、 ここはセリフなので、やはり「あした」と読むべきですね。 (くだけた口語で「あす」と言う人はあまりいない) 最後が「ん」で終わってることもあり、 中八で読んでも、さほどリズムの違和感はありません。 ◇ 弓木奈於。 夏風や ふるさと恋し 甘酢の香 ふるさとの夏風恋し 甘酢の香(添削後) 中七を「故郷こきょう恋しき」と連体形にすれば、 すぐにでも三段切れは解消できます。 とはいえ、かりに、 夏風や 故郷恋しき冷やし中華 だったら、 ほとんどキング・オブ・ザ・凡人ですw それを「甘酢の香」と対象を絞っただけで、 だいぶ詩情とオリジナリティが増すってことでしょうか。 追記: なお、 原句は「都会にいて故郷を懐かしんでいる」と解釈できますが 添削句は「帰郷して、その夏風を浴びている」との描写に変わっています。 その意味で、これは添削というよりも改作になっています。 形容詞の「恋し」は、 本来は《無いものへの憧れ》を表す形容詞ですが、 場合によって《目の前のものと離れたくない》という意味で使われることもある。 この添削句も、季語を現物として解釈するならば、 後者のように「この故郷の夏風と離れたくない」という意味になるはずです。 そもそも、一般論をいえば、 俳句の客観写生において「恋し」はNGワードですよね。 無いものに対する感情語ですから。 ◇ 八嶋智人。 玉の汗 錦糸玉子を刻む子や 錦糸玉子きざむ子の指 汗の額ぬか(添削後) もしや「玉×2」「子×2」の言葉遊び? セオリーに反して下五に「や」を置きましたが、 切れ字を用いずに「刻む吾子」とすれば解決します。 ただし、やはり語順としては、 季語の「汗」をクローズアップにして終えるべきですね。 言葉遊びの要素を残す意味でも、 下五は「玉の汗」のままでもいいと思うけど。 ◇ 椿鬼奴。 冷やし中華 残りし胡瓜 母にらむ 冷やし中華 胡瓜残せばにらむ母(添削後) 下五の「母にらむ」ってのは、 俳句としてはとても悪い用例だと思うのだけど、 「私が母を」「母が私を」「母が胡瓜を」 という3通りの読みが可能になってしまいます。 そして、 作者によれば「母が私をにらむ」なので、 リズムのみならず、意味のうえでも三段切れですね。 (「胡瓜をにらむ」なら三段切れではない) なおかつ、季重なりですが、 「胡瓜」が「冷やし中華」の付属物と考えれば、 主たる季語は「冷やし中華」になるのでしょうか? ◇ 中田喜子。 遠き日の銀座 冷麵ひやめん待つもよし あくまで《現在を詠む》という原則からすれば、 「遠き日の銀座(を想いながら)冷麵を待つのもよし」 との解釈になりますね。 …というよりも、 「遠き日の銀座(を想えるので)冷麵を待つのもよし」 との因果関係を感じさせるところに、 かえって面白さと味わいがあります。 ◇ キスマイ横尾。 炎天の列や 限定二十食 句またがりですが、 横尾にしては、切れ字も入って定型感のある仕上がり。 たんに描写的なだけで、 いまいち詩情がない?…って気もしますが、 逆にいうと、私情を排したリアリズムで、 臨場感があるってことですね。 ◇ 千原ジュニア。 町中華 日傘を開く最後尾 庶民的な「町中華」と、 エレガントな「日傘」の取り合わせ。 弱音の「hi」の頭韻もエレガントな印象です。 女性の姿を詠んだとのことで、 ジュニアにしては珍しく洒落た作風でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.07.13 17:18:56
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